• 成瀬 紫苑

1月*一膳 勝穂

「開始」


 その声が響き渡った瞬間、一斉に紙をめくる音が鳴った。それと共に、カリカリカリとシャーペンが机を忙しなく引っ掻き始める。

 その音に気圧されるように、私も慌てて紙に記載された問題を確認する。


 紙に羅列した数式は、どれも馴染みがあるものばかりだ。問題を解くための公式も、つい先ほどまで確認していたはずだ。

 だが、周囲の熱意と張り詰めた空気感から妙に緊張しているのか、脳が中々働いてくれない。

 

 それもそのはずだ。今日この試験で、私たちの人生が決まると言っても過言ではない。

 高校三年間で学んだ知識は、今この一瞬の為だけに、長い時間をかけて備えてきた。三年間かかった時間をこの一時間で全て判断されるのだから、ミスは許されない。

 だが、脳は働かずとも身体が勝手に覚えていたようだ。考える前に手が勝手に動き、数式を解いていく。

 今日まで毎日同じ数式を確認し、反復練習を行ってきたことが幸いしたのだろう。あれがきたならこれ、それがきたならあれ、というように、神経が繋がっていた。


 徐々に冷静になり始めた。カリカリ響く音も、紙をめくる音も気にならないほどにはなった。

 それと同時に、頭の中で小さな私が忙しなく駆け巡っている感覚に陥る。一問解答を見るたびに、公式のしまわれた記憶の引き出しを探し回る。物理的に脳がぐにゃりと動いているように感じた。


 どんどん問題を解いていく。その度に脳が激しく動き始め、あぁ今、頭を使っているな、と妙に満足感を抱く。

 今日で勉強漬けの毎日は終わりなんだ。今日が終われば、あとはずっと貯めていた漫画を読み、買い置きしていたゲームも進め、取り溜めていたドラマも一気に消費する。

 楽しいことがたくさんあるんだ――――。


 だが、それと同時にどこか虚しさが襲った。

 恐らく今、ここで使用している公式も、春になったら不要となるものだ。今まで必死に覚えてきたものほとんどが、今日この日の為だけに使われ、それ以降は忘れてしまう。


 そう思った瞬間、問題を解く手が妙に慎重になった。

 どうせ忘れてしまうのならば、最後くらいは丁寧に解答しよう。

 幸い問題は難なく解けるものばかりで、だからこそ余裕があったのかもしれない。


 最後の問題を解き終わり、見直しを終えると共に、ペンを机に置いた。周囲の音もほぼ落ち着き、皆解答を終えているのだとわかる。

 脳の中がスーッと心地よい感覚が訪れる。全て出し切り、燃え尽きた感覚だった。燃え尽き症候群というものだろうか。


 本当に終わってしまった。これで私の高校生活が終わり、それと同時に次への道が確定される。


 卒業を祝福するかのように、ベルが鳴り響いた。