• 成瀬 紫苑

4月*四ノ宮 陽介

 視界が真っ白で何も見えない。

 目を閉じていると暗くなるはずだが、今は何故か明るかった。

 じりじりとした陽光で肌が火照り、脳が徐々に活動を始めたことで、あ、朝になったのか、とようやく気づく。

 瞼の裏から感じる日の眩しさに、目を開ける前に思わず額に手を翳す。


 太陽が僕に「起きろ」と警告していた。



 これも社会の洗礼のひとつだろうか。

 僕はしぶしぶ身体を起こして窓に近づく。


 カーテンが全開だった。昨夜、窓を開けて外を見ていたまま閉め忘れていたのだ。

 

 窓を大きく開ける。無意識に手に力が入り、ガラガラと大きな音が鳴った。自身の行動が原因でやり場のない怒りが態度として現れる。


 心地良い風が頬を掠める。僕は目を閉じて数秒、光合成を行うと、大きく息を吸って顔を下げた。

 


 目下には、桜の木があった。昨夜見た時と変わらずに満開に咲きほこり、淡いピンク色が目を潤す。

 唯一違う点といえば、シートを敷いて花見をしているグループがいないことくらいだ。


 窓枠に腕を乗せ、茫然と桜を眺めていると、ピンクの花弁の隙間から、緑黄色の新芽が出ていることに気づく。


「早いもんだなぁ……」僕はポツリと呟いた。


「桜って、雨が振ったら花弁は散っちゃうし、雨でなくても次第に新芽が出てきて汚く見えるから、数日だけしかきれいに見えないでしょ。なのにその数日を狙ったかのように、みんなこぞって花見をする。普段大して花に関心を持たないくせに、と思ってたけど、「期間限定」という言葉に弱いからか、「花見」を口実に外でお酒を飲みたいからか、と今日わかったよ」


 二年前、花見の最中に当時付き合っていた彼女が言った言葉を思い出す。


 その日は、桜が満開で迎える週末だったことから、花見に行こう!と珍しく彼女から言ってきた。

 だが、みんな考えることは同じようで、当日は隙間なく人で溢れていた。

 普段から人混みが嫌いな彼女だったからこそ、このようにブツブツ文句を言っていたのだ。


「ハックション」


 大きなクシャミが出る。続けて数回クシャミを繰り返し、目も痒くなってきた。


「窓、開けるんじゃなかった……」


 僕は慌てて窓を閉めると、室内にあるティッシュで鼻を噛む。

 噛んでも噛んでもずるずる鼻水が出るものだから、しぶといものだ。


 花粉症であることをいまだ自覚できていない。

 それもそのはずだ。去年まで花粉は平気だったからだ。



 都会で行われる研修に出向いた、新社会人となった僕への第一の試練が、花粉症の発祥だった。

 学生の頃は、この時期になると箱ティッシュを持参して学校に来るクラスメイトを見るたびに、「あぁ、辛そうだなぁ」と同情の目で見ていた。

花粉は体内に蓄積され、いつか発症するぞ、と道連れするような目で見てくるものの信じていなかった。


 ただでさえ見知らぬ地。地図と格闘する中、花粉まで与えるとは、中々の洗礼ではないか。


「そりゃぁ、逃げたくもなるでしょ」


 洗面所で顔を洗って身支度を済ますと、荷物を持ってホテルを出た。



 親には一週間、研修があると言っている。だから期限であるあと三日は、どこかで時間を使わなければいけない。

 田舎から都会への交通費だけでもバカにならないのに、本当に情けなくて顔が歪む。


 僕はスマホを取り出すと、『今日は仕事?』と連絡を入れた。



***



「似合わない格好してるなぁ」


 友人の卓也は、僕を見ると開口一番、眉を下げて言った。


「三年ぶりの再会で、最初の言葉がそれかよ」僕は苦笑する。


「だっておまえって、ザ・変人みたいな人間じゃん。スーツとかマトモな格好してるのは違和感しかないぜ」


 さらりと吐かれる毒舌も、今では慣れたものだ。SNSで繋がりはあるとはいえ、対面は久しぶりなことからいっそ懐かしいとすら思える。


「ま、でもこんな時間にこんなとこ来てんだから、マトモでないのは変わってねぇか」


 卓也はそう言うと、玄関ドアを大きく開けて歓迎する。僕は肩を窄めながら中に入った。



「で、どうだったよ。社会人ってのは」


 卓也はキッチンのコーヒーメーカーを弄りながら問う。それと同時にワンルームの室内に焙煎されたコーヒー豆の香りが充満した。


 さすが幼少期からの腐れ縁というべきか、先に社会を経験しているからか、過去形であることから僕がここに来た理由も、粗方予想はついてるらしい。


「やっぱり、変人の僕には向いてなかったみたいだ」僕は自虐的に答える。


「ま〜そうだろうな。就活するって言い出した時はむしろ驚愕したってもんだ」


 卓也は、テーブルにカップを置きながら言う。僕は無言でそれを手に取り、口を付ける。

 紅茶派であることから、コーヒーの苦みに慣れていない。

 これも大人への階段なのか、と再び思った。


「驚愕するほどなのか」


「だっておまえは、昔からゲームで食ってく、って豪語してたじゃねぇか」


 ストレートな返球に思わず言葉が詰まる。次第にジワジワと羞恥心が湧き上がってきた。


「僕さ、昔から〇〇だから、という言葉が嫌だったんだよな……」


「知ってる」

 卓也は、過去を思い出すように苦笑する。


「それでキレておまえ、持ってたコントローラーを投げたことあったよな」


「懐かしいな」僕は他人事のように、軽く返事をした。


 小学生の頃、自宅で卓也とゲームをしている時、「これよりおもしろいゲームを作って大儲けするんだ」と子どもながら大きなことを宣言した時に、「男の子は、安定した会社に勤めるのが普通だよ」と姉に言われたことがあった。


 男の子だから、大人だから、仕事だから、我慢しないといけないのか。

 会社に勤める場合は、会社を作った者のルールに従う必要があるのはわかる。

 でも、根拠もなくただの固定観念によって決められることが不愉快だった。


「好きなことで生きていけるほど、社会は甘くないんだよ。でもさ、それでも僕はやっぱり無理だったんだ。だから逃げてしまった」


 二日間、研修に参加して学んだことは、「対価が合わない」「ただ時間を無駄にするだけ」ということだけだった。


 長い時間拘束されるのに、得られるものは大した額でもない金銭のみ。営業、なんて経験、活かせる気もせず、いや、活かす気にもならず、本来やりたいことから全く逸れていることからも、ただの時間の無駄のようにしか思えなかった。

 学校という場は、人脈や学生生活という経験を作る為に、例え嫌なテストでさえも今だけの経験だ、と割り切れていたのに、これほど社会は厳しい世界なんだ。


 僕は静かに目を閉じた。



 目の前が真っ黒で何も見えない。

 目を閉じていると暗くなるのは当然だが、その闇はどこまでも奥深く沈んでいるようだった。



 だがその瞬間、鼻がむずむずと痒くなり、大きくクシャミが出る。流れで目も開かれる。

 卓也が窓を開けて、外を眺めていた。


「今日、花粉がピークなんだけど」僕は不機嫌の混じる声で言う。


「え、おまえ花粉症じゃなかっただろ?」卓也は素直に驚きながらこちらを見る。


「ここに来てから、鼻水が止まらなくなったんだ。おまえも時期に花粉症になるぞ」と、脅しをかける。

昔、同じことを言った友人も今の僕と同じ気持ちだったのだろう。


「でもな、ほら見てみろよ」


 卓也は先ほどよりも大きく窓を開けて僕を促す。花粉のことなんて1ミリも気にかけていないようだ。

 僕はしぶしぶ窓に近づくと、思わず「おお……」と嘆声が漏れた。


「桜が咲くのは数日だけだからな。おまえ、いい時期に都会に来れたじゃねぇか」

 卓也は目を細めて外を眺める。


「確かに、桜がきれいに見られたのはよかったな」

 僕はポツリと呟いた。


 そんな僕を卓也は一瞥すると、「おまえは逃げたわけじゃねぇよ」と口を開く。


「明確な理由があるじゃねぇか。おまえの嫌う固定観念のある社会で生きられねぇなら、だったらその常識を打破するにはどうすればいいのかって考えたらいいだけなんだよ」


 卓也のまっすぐな言葉が心を刺す。じわじわと温かい感情が湧き上がり、胸が苦しくなった。


「そうだよな……。周りから評価されるには、それなりの見える「結果」を出すのが一番わかりやすい。みんなはレールの敷かれた1からのスタートからだけど、僕はゼロなんだから、人一倍頑張らないとダメだな」


 自分に言い聞かせるように滔々と語る。


「おまえならできるよ」

 卓也は昔から変わらない顔で口角を上げた。



 感情を溢れ出さない為に、僕は再び目を瞑る。


 視界が真っ黒で何も見えない。

 目を閉じでいるから、暗いのは当然のことだ。


 簡単なことだ。

 暗いなら、目を開けたらいいだけなんだ。