• 成瀬 紫苑

死者蘇生の宴-ハロウィン・ナイト-【完結】

十月三十一日。この日だけは、魔界の住民が地上に降りることが許されていた。

魔族と人間が境なく交流する「宴」、いつしかこの日が「ハロウィン」と呼ばれるようになった。

一夜限りの宴だと皆浮かれるも、本来ハロウィンが設けられた理由は別にあった。

最初は乗り気でなかったキッドだが、人間界に降り立った瞬間、自身が「人間だった」頃の記憶が蘇る――――。



***



こちらは、「人間からのオクリモノ」(書籍版では「〇〇からのオクリモノ」)に登場する秋月梨斗の番外編になります。

番外編の為、本編未読でも本作品を読むことは可能ですが、合わせてチェックしていただけますと嬉しいです。


※この物語はフィクションです。実在の人物、組織などとは一切関係ありません。



***



 

魔族に生まれ変わった元人間のハロウィン短編



 魔界の住民は、地上に降りることが禁止されていた。


 過去に人間界に訪れた魔族が、地上で未確認生物「UMA」や「都市伝説」として取り上げられられたという。滑稽な話だが、そのせいで魔族の存在が知れ渡り、また一部の人間には恐怖を植え付けることとなった。

 結果、地上に通じる門が封鎖されたのだった。


 だが、それでも人間界に執着する奴が後を絶たなかった。門を巡って大きな騒動にまで発展したらしい。


 魔界の住民に同情もあるようで、最終的にいくつか「制約」はあるものの、年に一度、門の開かれる日が設けられることとなった。


 その日が、『十月三十一日』だった。 


 この日だけは、人間と魔族の境はなくなり、交流の行える特別な「宴」となる。


 いつしかそんな日が「ハロウィン」と呼ばれるようになった。



***



「キッドは、今年が初めてのハロウィンか」


 紺青色の髪を弄りながらハロルドが言う。白い手袋のつけられた指に絡む髪は癖がなく、女性のように艶がある。たちまちするりとほどけた。


「そうだな。悲しいことに、一度目は強制参加らしい」


 俺は大きく溜息を吐きながら答える。

 俺の言い方に引っかかったのか、ハロルドは眉をひそめてこちらを向く。


「ハロウィンは『宴』さ。楽しみではないのか?」


「そもそも、宴が好きじゃねぇんだ」


 俺はソファに背を預けると、銀灰色の尾に触れる。硬い毛が獣化していない皮膚をチクチクと刺した。


 ハロウィンの前日だからか、魔界には普段以上に浮き立った空気が流れていた。宿舎内も朝から騒がしく、「どの服着よう」「どの街に行こう」と軽い会話が飛び交う。


 この時期に入ってからずっとこの調子なので、正直もうウンザリしていた。


「堂々と人間と交流のできる貴重な日なのだが」


 ハロルドは訝しげに俺を見る。基本的にハロウィンという日を楽しみにしている奴が多いだけ、珍獣扱いされているようにも見える。


「むしろここに来て日が浅ぇから、ノり気にもならねぇもんだ」


 俺は、廊下に視線を向けながら言う。「先月まで『人間』だったんだから」


 魔界の住民は、元々は皆「人間」だった。


 人が死ぬと、「死神」という存在に魂が抜き取られる。その魂が新たな人間を生む「核」として扱われることで、この世は循環している。人間界では「輪廻」と言われるが、正しくその通りだ。


 だが、全ての魂が人間に回されるわけじゃない。


 単純な話、人間に循環されなかった魂で生まれたのが、俺ら「魔族」という存在だった。


「魔族に生まれ変わってから地上に降りると、また見え方も変わるものさ」


 ハロルドは、深い襟に顔をうずめて口角を上げる。鋭く尖った歯がちらりと覗く。

 俺のぶ厚い牙とは違い、細くて鋭利な形状からも、彼が「吸血鬼」だと示していた。


「人間はやっぱり汚ねぇってことか?」


「人間の女性は、魅力的ということ」


「それは多分、生前から引き継がれてる性格だ」俺は軽く手を振る。


「女にだらしねぇ人間だったんだろ。特に吸血鬼なんて、皆、人間の女が好きなどうしようもねぇ奴ばかりじゃねぇか」


「否定はしないさ。でなければ魔族になっていない」


「『Eランク』の成れの果て」


「上級の魂だけが人間に回されるなんて、とんだ差別だよねぇ」

 ハロルドは両手を広げて肩を竦める。


「生前に問題児であった奴の魂が回されても、また問題児を生むだけだ」


 俺はハロルドに視線を向ける。ハロルドは口を曲げて俺を見る。


「言っておくが、君も生前、その『問題児』だったのだぞ」


「わかってるっつの」


「だが君は根は真面目だ。本当にEランクだったのかと疑うよ」


 人型を保っている現在は、まだ理性が備わっているものの、満月の日に人間界に訪れたならば、どんな行動を取るのか俺自身もわからない。


 まだ一度しか獣化したことがないが、獰猛な奴の多い魔界と地上の境が封鎖されている理由も納得はいく。


 ハロルドはふむ、と顎に手を当て、至極真面目な顔になる。


「しかし可愛い顔しているし、もったいない気もするな。人間にもモテるだろうに」


「全然嬉しくねぇよ」俺は露骨に嫌悪感を示す。


「青いねぇ。君も一度、人間を喰らえばわかるだろうさ。特に若い女性の血は格別だね」

 ハロルドは舌なめずりしながら恍惚と笑う。


「ハロウィンの日は『制約』があるものの、堂々と行動できるだけ品定めをするにはちょうど良い。後日、ゆっくり食事をする為にも」


「門が開くのはハロウィンだけだ」


「そんな規則、守っているのかい?」


 真面目だね、とハロルドは大げさに驚く。平然と規則違反していることに、もはや開き直っているようにすら見える。


「君はまだここに来て一ヶ月ほどだから知らないのかもしれないが、地上に続く道は色々開拓されているのさ。もし知りたい時が来たならば、いつでも」


「来るとは思えんが」俺は頭を振って会話をいなした。


 生前から引き継がれている性格なのかは不明だが、他人と慣れ合うのが嫌いなだけハロウィンが面倒でしかない。


 平気でルールを破っている奴が目前にいるだけ、正直すっぽかしても良いか、とも思い始めていた。


「ま、せっかくの宴さ。一夜の甘い夢を楽しもうではないか」


 ハロルドは陽気にそう言うと、ひらりと黒いケープを翻して自室へと戻った。



 一人になったことで、大きく溜息を吐いてうな垂れる。頭上の耳がソファに触れ、ピクリと反応した。


 満月の日以外は、耳と尾を除き人間と同様の容姿をしているが、元々人間だったなんていまだに信じ難い。


 そもそも、新しい人間を生むのに「不適当」と判断された「Eランク」の魂なんだ。自分がどんな人間だったかなんて思い出したいとも思わない。


 慌ただしく住民の行きかう廊下からは、相変わらず軽い声が響く。


 だが、皆、柔らかくて緩み切った顔をしている。「やっと待ち望んだ日が来た」といった安堵が感じられた。


 俺は、そんな住民たちを茫然と眺める。


「地上に『未練』なんてねぇしな……」


 元々、ハロウィンという日が設けられた理由だ。


 ハロルド含む一部は例外だが、禁止されているにも関わらず、地上に出向く理由でよく挙げられたのが「生前出会った人間の元や馴染みの場所に訪れる為」だった。


 魔族になった時点で、人間だった頃の記憶は一切消えている。

 だが、魔界の住民、皆どこか漠然とした「未練」や「後悔」に苛まれていた。


 循環には不要、と見限られた魂で生まれた魔族だ。ろくでもない死に方をして、人間界に未練があってもおかしくない。


 だからこそ、地上に降り立てば、人間だった頃を思い出し、漠然とした「未練」が取り除けるのでは、と希望を抱いていた。


 魔族の成り立ちを理解している門の番人も俺らに同情し、結果ハロウィンという日が設けられたのだ。

 大抵が問題児であったにも関わらず、いざ人間を辞めれば未練がましく地上に縋る。


 とはいうものの、俺自身、地上に対して「未練」を感じないだけ共感ができない。


 他の奴らと同じ問題児であったはずなのに、未練を感じないのは異常なことなのだろうか。


「ま、どうでもいいけどな……」


 俺はそのまま静かに目を閉じた。



***



 夕刻の街中。駅近くの交差点も、この日は歩行者天国に変わるようで、今日は車ではなく人が行きかう。


 日は暮れ、肌寒く薄暗い空ではあるが、対照的に街は熱気と活気で溢れていた。


 缶ビールを手に持ちながら空っぽな会話をする若者集団、俺ら魔族を模した粗末な衣服を着用した学生、木刀や仮面といった普段の生活では使用しない地味な装飾品を所持している会社員もいる。


 広い交差点も、地面が見えないほどに人や魔族で埋め尽くされ、満員列車のような窮屈さを感じる。


 話では聞いていたが、わかりやすく場の空気に酔っている奴らが目に入るたびに頬が引き攣った。


「多すぎんだろ」


「虹ノ宮市は都会だからね。街中のハロウィンはいつもこんな感じさ」


 隣に立つハロルドは、周囲を見回しながら言う。「でも、だからこそ選別し放題だよ」


 まだ魔界に来て日が浅く、隣室である彼しか知り合いがいないこと、さらに地上での生活に慣れているだろうことから彼についてきたが、早速後悔していた。


 彼は昨日、ハロウィンは「品定めにはちょうど良い日」と言っていた。少し考えれば、人間の多い街中に出向くとはわかったはずだ。


「でも逆に、人が多い方が堂々と行動できる」


「それは、そうだろうが」


 人間界の規則なのかは不明だが、街の至るところで、俺ら魔族に似せた格好の「コスプレ」した人間が確認できる。


 場に馴染む為に適当に見繕ったであろうクオリティではあるが、中には一見、仲間かと疑うほどのレベルの高い人間もいる。


 俺らは逆に「人間らしい」恰好を意識するものだ。隣のハロルドも、シックなケープに深い襟とスラックス、清潔感があり容姿だけ見れば紳士に感じられる。


 人間と魔族の混ざる街中でも、外見だけで言えば区別がつかなかった。



 ハロルドは、満足そうに人間を観察した後、大きく伸びをする。


「やはり地上の空気は新鮮だ。それに、以前来た時よりも街がきれいになった気がする」


「そうなのか」


「噂で聞くのさ。最近、ランクを上げてから魂を刈る仕事熱心な死神がいるらしくてね。もしかしたら、その存在のおかげかもしれないな」


 ハロルドは手を口元に当て、「それでは」と咳払いする。


「我はしばらく街を徘徊するよ。キッドもせっかくだから、人間と戯れてみればいいさ」


 そう言うと、ハロルドはケープを翻し、人で溢れる交差点へと歩き始める。


 胸を張り、堂々と歩く後ろ姿は正しくハロウィンを楽しむ人間にしか見えなかった。


 茫然と見送っていたが、「あ、そうそう。一応、忠告だ」とハロルドはこちらに振り向く。



「今日はハロウィンなだけに警備も多い。現に地上も警察官で溢れている」


 確かに周囲には、道の整備や若者に声をかける警察官がたくさん確認できる。


「だからこそ今日は『制約』は守るべきだ。大切な人を傷付けたくないならね」


 そう言うと、ハロルドは再び交差点へと歩き始めた。


 取り残された俺は、暫く茫然と立ち尽くす。


「面倒くせぇな……」


 どこからか、「ケンくんだよね?」との声が響く。


 つられて顔を向けると、脇道で向かい合う男女がいた。


 顔が隠れてはっきり見えないが、匂いから女は「人間」で、男は「魔族」だと判断できた。おそらく男の方は「ゾンビ」に該当する。


「ほ、本当にケンくんなの……?」


 女性は、今見ている現実が受け入れられないようで、言葉を繰り返す。


「そうだよ。僕はケンだ」


 男は優しい声色で答える。


「何で……あの時、ケンくんは…………」


「今日だけは会いに来ることができたんだ。あの日、僕が事故にあったせいで、ミサのウエディングドレスが見られなかったことがずっと悔しかったんだ」


 男は滔々と語る。


「今からでも遅くない。ミサ、日が変わるまで付き合ってくれないか?」


 男がそう尋ねると、女は膝から崩れ落ち、わんわんと泣き始めた。


 俺はそんなやり取りを遠目で眺めていた。


「せいぜい、日が変わるまでに終われば良いが」


 俺は街を歩き始める。「女を噛み殺さない為にも、な」  


 ハロウィンには、「制約」が二つある。


 ひとつは、「人間に危害を加えてはいけない」。


 もうひとつは、「日が変わるまでに魔界に戻ること」だった。


 元々、悪行を行ってきたEランクの成れの果てである魔族だ。ハロウィンという日が設けられた際に、魔族が人間に危害を加えないよう、この日は地上に魔力の弱まる薬が撒かれる決まりになっている。現に今、肌がピリピリと痺れていることでそれは実感している。


 言葉で念を押す為にも「制約」として挙げられているが、そもそも危害が加えられない状態にされる為、ひとつめは大抵守られる。


 だが、問題がふたつめだった。


 もはや麻酔であるその薬は、日が変わった瞬間に効力を失う。薬が切れた瞬間から、魔族は本能を取り戻し、人間に手を出す危険性が上がる。


 未練のある人間と楽しいひとときを過ごして時間を忘れていようものなら、その後どうなるかは想像に難くない。


 それに悲しいことに、薬が消えることで、ハロウィンの楽しいひとときも忘れてしまうらしい。


 その為、日が変わる前に魔界に帰らなければならなかった。


 ここまで制約があるにもかかわらず、一夜限りの甘い夢見たさに、皆こぞってハロウィンに狂うのだ。


 だが、そんな薬に当てられても、なお俺は乗り気になれなかった。どれだけ人間界に未練がないのか実感させられる。


 日が変わるまで、どこかに身を隠そう。


 そう考えて足を踏み出した瞬間、尾の引かれる感覚が襲う。



「おにーさんのこの尻尾、本物みたい!」


 無邪気な声に振り向くと、俺の腰ほどの背丈の男の子どもが、尾を引っ張っていた。


 厚かましく触れられたことで、反射的に総毛立つ。


 しかし対照的に子どもは俺の頭上の耳に気付くと、さらにこちらに手を伸ばす。


「おみみ、いま動いたよ。すごい!」


 子どもは純粋な目でこちらに迫る。俺は対応に困り、顔が引き攣った。


 人で溢れる街中だが、子どもの周囲には親が確認できない。もしかしたらはぐれたのかもしれない。


 面倒な人間に掴まったものだ。


 正直こんなガキ一人、麻酔にかかっていようが一噛みで黙らせることはできるものの「制約」がある。普段は平気で規則を破るハロルドに釘を刺されただけ守るべきだ。


 だが、他人を寄せ付けない為には、多少の「恐怖」は必要なもの。人間にとったら、ハロウィンは恐怖を楽しむイベントであるだけ、理にも適っているはずだ。


 俺は子どもの肩を力強く掴む。一瞬で子どもの顔から好奇心が消え、きょとんとした表情になる。


 子どもであるだけ、もう少し恐怖を与えるほうが良いはずだ。


 そう考えた瞬間、俺の行動を制するようにどこからかリンッと心地良い鈴の音が鳴った。



「迷子かしら」


 澄んだ声により、身体の強張りが解ける。俺と子どもは、声のした方へ顔を向けた。


 傍に少女が立っていた。真っ赤な髪に、ゴシックな衣装を身に纏っている。手には分厚いハードカバー本を携え、幼い体躯には似つかわしくない無機質な表情をしていた。


 一見、コスプレのようにも見えるが、彼女の場合は「普段着」だと判断できた。


「警察の人に言えば、あの高いところに上がらせてもらえる。きっと、お母さんが気付いてくれるよ」


 赤髪の少女は、近くの大型ワゴン車を指差す。差された先には、見張りをしている複数の警察官の姿が確認できた。


 親が見つかる、との言葉で安堵したのか、子どもの目は一気に潤み始める。


「ママ、どこ〜〜?」


 子どもはそう叫ぶと、そのまま少女に抱き着いた。


 周囲の人は驚いた顔で子どもを見る。赤髪の少女は、相変わらず無表情で子どもの頭を撫でた。


「僕、大丈夫?」


 子どもの泣き声に気づいた警察官が、そばまで寄ってくる。


「一人で頑張ったね。あっちでお母さんを探そうか」


 警察官はそう言うと、子どもの手を引いて歩き始めた。


 まるで赤髪の少女が見えていないかのような態度だったが、少女は特に気にせず、子どもの背中を目で追っていた。


「未練を生むような行為は、謹んでくれないかしら」


 唐突に、赤髪の少女は口にする。


「未練を、生む?」


「あの子どもは今、手入れがほぼ完了している。あとは母親を待つだけなのよ」


 少女は無機質に、それでありながら僅かに嫌悪感を表すと、そのままこの場を歩き始めた。


 俺は思わず「お、おい」と声をかけていた。


 赤髪の少女は、表情のない顔でこちらに振り向く。



「おまえ……もしかして、『死神』か?」


 気付けばそう尋ねていた。過去にその言葉を口にしたことがあるかのような、なだらかな発声だった。


 一見、コスプレした子どもにも見えるが、匂いで「人間じゃない」と感じていた。だが、俺ら「魔族」でもない。


 人間でも魔族でもない存在で人間界に来られるのは、魂を刈る「死神」しかいない。


 俺の問いかけに、赤髪の少女は静かに目を落とす。


「えぇ。一ヶ月ほど前、この街であなたの花を刈った」


 言葉を失った。


 全身の毛が逆立ち、足の裏からゾワゾワした感覚が襲い始める。


 よく見回せば、どこか馴染みのある街並みに感じられる。


 懐かしいような、

 思い出したくないような、

 忘れてはいけないような。


 目前に立つ赤髪の少女も、初めて出会った感じはしないデジャヴを抱く。


 心臓の脈が早まり、嫌な汗が流れ始める。

 呼吸が乱れ、動悸も感じた。

 目前の景色が歪み始め、足元がふらつく。


 俺は、本当に人間だったのか――――?


 沈思黙考を続ける俺を気にせず、赤髪の少女は口を開く。


「あなたには手を焼かされた。元々『Sランク』の種を所持していたにも関わらず、自殺行為に走ったのだから」


「元々、Sランク…………?」


 そう問うが、少女は思い出したくもないのか、顔を歪めて返答しない。


「リン。除去完了だ」


 その声と共に、どこからか痩身の青年が現れる。


 全身真っ黒のコートを着用し、右眼には眼帯を着用している。銀髪の髪に、赤い瞳が怪しく光る。何か食べているのか、咀嚼するように口元が動いていた。


 この場に馴染む格好ではあるものの、彼も少女と同じく「人間でも魔族でもない」匂いがした。


 青年は、俺に気づくと僅かに驚いた顔をする。


「…………へぇ、そうか。そういやEランクになっちまったんだっけ」


 青年は興味深気に俺を見る。俺は反射的に背を逸らす。


 何故かわからないが、本能的にこいつを拒絶していた。


「ま、せっかく魔族になったんだ。今日と言う日を楽しみな」


 青年は、軽く手を上げてそう言うと、険しい顔をする赤髪の少女を引いて足を進めた。


「死神。さっきの子どもは」


 そう問うと、二人はぴたりと足を止める。


「残念ながら」


 赤髪の少女は、凛とした佇まいで答える。「私たちは、魂を循環させることが使命なので」


 そう言うと、ワゴン車の方向へと再び歩き始める。目先には、子どもと母親が抱き合う姿があった。


 俺は見ていられず、そのまま人通りの少ない路地裏へと足を進める。



 脳内がガンガンしていた。


 先ほどの死神も、この街も空気も、全部が馴染みのあるように感じられる。 


 人間界に降り立って時間が経ったからなのか、あの死神に過去を思い出させるような発言があったからなのか。


 頭を抱えながらうずくまっていると、「リン」と惹かれる声が届いた。


 顔を上げると、女の子を抱えた主婦が通り過ぎる。母親に抱えられた女の子が「リン……リン……」と呟いていた。


 まだ一歳ほどだからか、まともに会話ができないのだろう。覚えたての言葉を口ずさんでいるようにも捉えられる。


 肩に抱えられる女の子は俺に気づくと、口を止めてキャッキャッと無邪気に笑い始めた。


 急に我が子がご機嫌になったことに驚いたのか、母親は驚いた顔で女の子を抱え直す。


 俺は何故か、その女の子から目が離せなかった。


 甘い香りが鼻孔にまとわりつく。本能的に唾液が溢れそうになった。


「特に若い女性の血は格別だ」と言ったハロルドの声が再生される。確かに人間の中でも女で、さらに若ければ若いほど旨そうには見えていた。


 だが、こんなにも目が離せなくなるものだろうか。


 年齢的に、生前でも確実に知り合いなわけがない。


 だが、俺はこの子を知っているはずだ。


 忘れてはいけない、大切な人だったはずだ。


「お、おい」


 気づけば主婦に声をかけていた。

 母親は驚いた顔で俺の全身を見る。


「あ、えっと、昔、どこかで会ったことがあるか……?」


 そう問うが、母親は困惑した顔をしたまま首を傾げる。

 いきなり見ず知らずの、それもコスプレをしたような外見の男に、わけのわからないことを尋ねられたのだから、当然の反応だ。


 だが対照的に、母親に抱えられた女の子は、無邪気にこちらに手を伸ばし、俺の耳を引っ張った。


「リント」


 女の子は満面の笑みでそう言った。

 母親は「こ、こら、林檎……!」と女の子を俺から遠ざける。


「すみません、人違いかと。では……」


 母親は訝し気に俺を見ると、軽く会釈をしてこの場を去った。

 抱えられた女の子は、いまだ俺を指差し「リン、リン」と無邪気にはしゃぐ。


 俺は耳に触れながら、呆然と立ち尽くす。


「リント……」


 どこか聞き覚えのある言葉だ。

 それに、女の子の名前も、確実に知っているはずだ。

 根拠はないが、漠然とした確信をしていた。


 今日は魔族が地上に降り立つことのできる、年に一度のハロウィンだ。

 この日だけは人間と魔族の境がなくなり、ひとときの甘い夢に狂える。今日という日が終われば、夢から醒め、全て忘れてしまう。


 そう気づいた瞬間、俺は、女の子の匂いを追っていた。



***



 しんと静まり返った住宅街に辿り着く。縦横無尽に人の歩く街中とは違い、秋の虫の声が空に響く、ひっそりとした空間だった。 


 俺はあの女の子のいる家の前まで来ていた。


 二階建てのシンプルな家。一階玄関の右側には車が置かれ、一階も二階も電気が点いている。裏庭には二階のベランダまで届く高さの樹木が植えられていた。


「確実に、不審者だな……」


 構うもんか。今日という機会を逃せば、一年後まで漠然とした靄を抱えたまま過ごすことになるのだから。


 俺は樹木に足をかけ、そのまま二階のベランダの手すりまで飛び移る。


 カーテンの隙間から中を覗くと、そこには女の子が母親にベッドに寝かされている姿が目に入った。


 しばらくすると、女の子は目を閉じ、眠り始める。


 母親は女の子の頬を撫でると、そのまま電気を落とし、隣の部屋へと移った。


 俺はじっと女の子を眺めていた。


「林檎……」


 俺は小さく呟く。その言葉を口にすると、じわりと胸が温かくなった。


 窓で隔たれているにも関わらず、名前を読んだ瞬間、女の子は目を覚ました。


 俺はベランダの手すりから降り、窓に近づく。


 女の子は俺に気づくと、布団から抜け出し、壁を伝いながら窓まで近づき、カーテンを掴んだ。


 俺は腰を落とし、女の子の目線に合わせる。女の子はビー玉のような澄んだ瞳で俺をじっと見る。


「林檎」


 俺は女の子の頬を撫でるように窓に触れる。女の子はいまだ俺をじっと見るが、やがて表情を崩して無邪気に笑った。


 子どもが起きたことに気づいたのか、母親の匂いが強くなる。俺は慌てて屋根に飛び移った。


 様子を窺う為に下を覗くと、母親が窓に貼りつく女の子を抱えてベッドに寝かせる姿が目に入った。


 女の子はいまだ茫然と、こちらを見ている。


 俺はできるだけ表情を崩して手を挙げると、この場を離れた。



***



 俺は墓石の並ぶ墓地に来ていた。

 住宅街よりも一層暗く、しんと静まり返っている。


 自身の匂いを辿っていた。僅かしか感じないが、まだ死んだのが一ヶ月前だからか、微かに俺の残り香が舞っていたのだ。


 とある墓石の前で足が止まった。その墓石の裏にだけ、何故か彼岸花が咲いている。


 十月下旬で時期が少しずれているにも関わらず、いまだ真っ赤に花開く。まるで来訪を歓迎しているかのような錯覚に陥った。


 じっと眺めた後、墓石の裏を覗く。

 そこに刻まれた名前をしばらく眺めると、そっと手で触れた。


「秋月、梨斗…………」


 墓石には秋月 梨斗(アキヅキ リント)という名前が刻まれていた。ここから僅かに俺の匂いがする。


 さらに視線をずらすと、隣に「秋月 林檎(アキヅキ リンゴ)」の名前が刻まれていた。


 明確な理由も根拠もなかったが、直感が当たっていたことに内心安堵する。


 目にじわりと温かい感覚が襲う。次第に音もなく、雫が零れた。

 俺は口をぎゅっと結び、手で目元を拭う。


「林檎………………」


 人間だった頃に何が起こったのかまでは思い出せない。

 だが今、全身が安心感で満たされ、感情が湧きたっていた。


 リーンゴ―ンとベルが響く。ハロウィンの終了十分前を示す、帰還の知らせだ。


 俺は大きく息を吸うと、そこにあるものを掴み、この場を離れた。



***



「若くて綺麗な女性は、魅力的だっただろ?」


 帰還中、ハロルドが俺に問いかける。

 俺はしばらく宙を見た後、小さく息を吐く。


「それは、同感する」


「おや」


 予想外の反応だったのか、自分で尋ねておきながら、ハロルドは驚いた顔でこちらを向く。「ってその花」


 ハロルドは俺の手に持つ花に目を向ける。


「あぁこれ。いつの間にか持ってた」俺はすっとぼける。


「その花は根に毒があるのさ。痒くなったりしないのかい」


「別に何ともねぇよ。それに、少し痺れるくらいが、忘れ辛くてちょうど良い」

 俺は空を見上げてそう呟く。


 俺の変化に違和感を持ったのか、ハロルドは珍獣を見る目で俺を見る。


「なぁ、ハロルド。いつでもいいからよ」


 俺はあの女の子を思い出していた。

 甘い夢が見られるのは、今日だけだ。だから明日には、ハロウィンで起きたことは忘れているのだろう。


 だが、漠然とした未練は胸に残るはずだ。


 それを解消するには、


「人間界に通じる道を教えてくれないか?」


 そう尋ねると、ハロルドはしばらく黙り込んだ後、「お安い御用」と満足そうに笑った。



「死者蘇生の宴-ハロウィン・ナイト-」 完