• 成瀬 紫苑

「罰××ゲーム」part4:a tempo【完結】

上流階級の青年が、ゲーム攻略の為に「女好き」のキャラクターを演じる外伝



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【part4:a tempo】


 天を覆う木々から漏れる日差しが心地いい。

 残暑も終えて九月中旬に突入したことで、鬱陶しい湿度も感じなければ、凍てつく冷気も感じない。秋の来訪を待機中、といったところだ。

 すでに履修済みの授業を受けるよりかは、年に数日しか訪れない貴重な気候を味わう方が良いに決まってる。


 人の気配がするな、そう感じて目を覚ますと、目前に見慣れた顔があった。


「玲央、やっと起きた!」


 西園寺 寧々(サイオンジ ネネ)は、アッシュ色のゆるく巻かれた髪を揺らし、甲高い声で口を開く。寝起きには少々、耳障りな声だ。


「受験シーズン真っ只中なのにさ。寝てばっかりじゃん」


「すでに、進路が決まってる余裕がある証拠だよ」


「あ、出た嫌味。玲央の場合、本当に余裕だからムカつく」


 寧々は頬を膨らませてむくれる。この場で受験勉強をしていたのか、手にはプリントを所持している。


 この空間は、本校舎から少し離れた庭園の片隅。人の話し声や雑音が届かず、心置きなく時間を過ごせる。

 学内で数少ない一人になれる場所だったが、こいつにはすぐにバレてしまうものだ。


 身体を起こす為に床に手をつく。何やら右手に違和感を感じ、顔を向けた瞬間、はたと目を丸くする。

 

 右手につけていたはずの品が見当たらなかった。


「……あれ?」


 俺の反応に気づいた寧々は、「あっ、もしかして、これかな」と眉をひそめて口を開く。

 振り向くと、彼女の手には、赤と黒の糸で編まれたミサンガが持たれていた。


「手にアクセサリーはつけないって言ってたでしょ。それに、明らかに手作りのものじゃん。玲央、優しいから相手に気を遣ったんだと思ってさ、外しておいてあげたよ」


 寧々は、意気揚々と顔を寄せる。


「それにしても、こんな地味なものを贈るなんて、よくやるよね」

 玲央に似合わないよ、と寧々は得意げに指を鳴らす。


 俺は不快な顔を彼女に向ける。


「…………返せ」


「えっ」


 予想外の反応だったのか、寧々は少し強張った顔になる。


「返して」


 何故かわからないが、感情が沸々と湧き上がり、怒りで狂いそうになる。


「玲央、どうしたの…………?」

 寧々は怪訝な顔で俺を見る。


 普段の俺は、理由が明確でないまま感情的になることはない。こいつの突飛な行動は今に始まったことではないが、全て俺への好意から動いているものだと理解はあるからだ。


 だが、何故なのか。今はそんな余裕がなかった。


「これ明らかに女の子の手作りのものだよね!?それなのに大事なものだったの?ちょっと嫉妬するんですけど」


 寧々は少し怒りながら迫る。彼女が怒る理由は理解できるから、反論はできない。

 黙ったままの俺に対し、寧々の表情は怒りから困惑へと変化する。


「玲央、もしかして好きな子がいるの……?そんなわけないよね……?私たちは、学内で最も釣り合ってるカップルなんだからさ。アクセサリーつけてくれるなら、私がもっと良いもの買ってあげるよ……?」


 寧々は、俺の表情を窺うように尋ねる。

 俺はしばらく黙り込んだ後、「寧々」と口を開く。


「な、何……」


 寧々は引き攣った顔で俺を見る。

 俺は深い溜息を吐いて、彼女に向き直る。


「ごめん。別れてほしい」



part4:a tempo



 自宅とは離れた、防音の効いた練習部屋。集中してヴァイオリンの練習をする為だけに準備した建物だ。

 とはいえ、仕切りの奥には楽曲制作に必要な機材は勿論、ソファもあれば冷蔵庫も備わり、この部屋だけで生活することも可能となっている。


「お兄ちゃん。大丈夫?」


 妹の安奈が、ドアから不安気に顔を覗かせる。

 今年中学生になった彼女は、幼少期から演劇に励み、隣には彼女の練習部屋が備わっている。そして唯一、この部屋への介入を許可している人物でもある。


「あぁ、ごめんね。心配かけて」

 俺は安心させるように軽く笑って対応する。


 安奈は俺に駆け寄り、勢いよく抱きつく。俺は彼女の小さな背中をさすって微笑む。


 何故かわからないが、俺は夏休み前からの記憶が全く思い出せなかった。節々に消えているのではなく、二ヶ月ごっそり切り取られたような感覚になっていた。

 周囲の反応を見る限り、夏休み行くはずだった海外の別荘にも、夏休み明けすぐの文化祭にも欠席していたようで、俺が何故、不参加だったかの明確な理由も、彼らには不明だと言う。


 唯一の手がかりは、この「目が覚めたら一番に見ること」と大きく記載されたノート。

 この中には、「七月十日~九月十日は、楽曲制作の為に地元を離れていた。テストはすでに受け終え、進路も固まっている為、多少の自由が許された」とあり、ご丁寧に「ここに記載されている内容は、もし何か問題があった時に利用できる口実や弁解のネタ」とまで説明されていたので、言葉通りに利用させてもらっていた。


 記憶にはないが、このノート内の日付の記載されたページを撮影した写真がスマホ内に残っていた。写真の撮影された日と記載された日が同じであることから、『九月十日』に作成されたものだと判断できる。

 それに、このノートの文字は、明らかに俺の字だ。俺がいたずらでこのような行為に出るわけがない。

 

 このノートを作成するにあたった要因は全く掴めないものの、俺が俺自身に向けて作成したものだと信じる根拠は揃っていることから、今はこのノートだけが頼りになっていた。


「でも、この髪型、新鮮でいいね。なんかヤンチャな高校生って感じで」


 安奈は、俺の髪をちょいちょいと弄りながら言う。


「安奈にそう言ってもらえるなら、しばらくはこの髪型でいようかな」俺は苦笑して答える。


 この頭髪もそうだ。金髪に近いほどまで脱色された髪色にパーマ。今までこんな派手な髪色にしたことがなく、鏡を見た時には、しばらく本当に自分なのか信用ができなかった。


 だが、これについてもノートに記載されていた。俺がここまで目立つ髪色になっていることが珍しいのか、家族や知人に怒られることはなく、むしろ興味深そうに俺を眺めてくる。普段とは違う外見なだけに、俺自身も爽快だなとすら思い始めていた。説明できないだけ、自棄になっていたのもある。


「いくら集中したいって言ってもさ、引きこもりは良くないよ」


「その言い方、やめてよ」俺は肩を竦める。


「でも、お兄ちゃんの曲好きだから楽しみ。完成したら一番に聴かせてね」


「もちろん」


 じゃ、またね、と安奈は自分の練習部屋へと戻る。


 俺はソファにうな垂れると、天を仰いだ。



 少しずつ現状を受け入れつつあるものの、やはり腑に落ちない。

 何故、いきなり寧々に別れを切り出したのか、何故、俺が行事に出席しない行為に走ったのか。


 ノートの記載通り、テストは受け終え進路も固まっている為、特に成績評価に関わらないとはいえ、外見を変えてまで楽曲制作に取り組むなんて、理に適わないとは考えなくてもわかることだ。

 思案に暮れたところで、胸に空洞ができているようで頭も回転しなかった。


 机に置いたノートを手に取る。このノートの中には、困った時の口実のネタ以外に、素っ気なく『紫野学園高校』『城島』『桃山 明日香』という単語が羅列していた。

 

『紫野学園高校』は、理事長と面識があることから存在は知っている。彼は部活動に力を入れ、腕利きの指導者を登用する為に渡り歩いてたようで、その中で偶然知り合った。その甲斐あってか、偏差値は低いものの、部活動は全国レベルだ。

 だが、高校はともかく、理事長にすらここ数年、連絡はしていない。


『城島』は、名前なのか地名なのかの判別がつかない。珍しい名前ではないものの知人に心当たりはなく、その地に訪れた記憶もない。ふと思ったのは、今読んでいる本に同名のキャラクターが登場していることくらいだ。


『桃山 明日香』に関しては、一切見当がつかない。検索したところで情報は出ないことから、どこかの企業の娘といった貴重な位置にいる存在でもないはずだ。


「桃山 明日香、ねぇ……」


 付け加えられてる「万が一、この名前の子が俺の元に訪れたら、歓迎するように」の言葉からも、見逃すことはできなかった。


 同じく、机に置かれたミサンガに目を落とす。寧々に勝手に外された時は、何故なのかわからないが、感情的になった。

 寧々の言う通りに、俺は手にアクセサリーは基本つけない。右利きであるのだから、例えつけるとしても左手になるはず。

 だが、俺は当然のように右手にミサンガがついていると認識していた。

 これと何か、関係があるのだろうか。


 堂々巡りだとはわかっているが、原因が掴めないだけ気分が悪い。


 茫然と日々を過ごす中、何の偶然かおもしろいことが起きる。



***



 ヴァイオリンの恩師から連絡が入り、近くのカフェで会合した。

 彼は俺が幼少期に通っていた音楽教室の指導者で、現役の奏者でもある。指導や演奏の腕は業界でもトップクラス、最近は、ほぼ海外に滞在してると聞いていた為、突然連絡が来て目を丸くしたものだった。

 来年で四十代を迎える彼だが、笑顔の絶えない童顔で背も低めの外見からも、年齢相応に見えないところは、今でも変わっていない。


「白金くん。いきなりなんだけど、来週行われるこの演奏会に、出演しないか?」


 恩師は、にこにこと笑いながら一枚の紙を差し出す。俺は紙を受け取り、目を落とす。


「僕も関わってる演奏会なんだけどね、急遽一人、けがで出られなくなってさ。でも、会場近くの神社で秋分祭がやるらしくてね。君はすでに進路も固まって、余裕があると噂で聞いたものだから」

 もちろんギャラは弾むよ、と笑顔で付け足す。

 

 三年生になってからは、表立ったヴァイオリンの活動は控えていた為、まともなホールで開かれる演奏会に参加するのは久しぶりだ。自然と高鳴る胸を抑えて紙に目を落とす。


 軽く内容を確認する中、開催地区を見て、あっと声を上げる。

 紫野学園高校を検索した際に、見た名前だった。

 高校の周辺に何か掴めないか調べた際、ここには大きな神社と広い川があり、居心地の良さそうな場所だなと思っていた。


 何の偶然かわからないが、断る理由はない。


 俺は、二つ返事で参加を引き受けた。



***



 当日、早朝に家を出発し、駅から徒歩十分もかからない位置にある川に来ていた。


「広いな……」 


 対面でランニングする人が小さく見えるほどに幅が広い。雑草が生い茂り、所々に真っ赤な彼岸花が咲いている。不意に吹く風により、木々がサラサラと音を鳴らした。

 川辺に目を向けると、今日は近所の神社で秋分祭があるからか、飛び石で遊ぶ子どもが目に入る。


 俺は土手に下ると、茫然と辺りを見回す。無意識に目を閉じて、胸を開いた。


 この地に訪れたことはないが、どこか懐かしい気持ちになる。

 川の水が流れる調子も、木々の擦れる囁きも、橋に反響する車の振動も、以前感じたことのあるようなデジャウを感じる。

 ノイズが一切響いておらずに、心が洗われるようだった。


 ふと視線を感じて顔を向けると、一人の小学生くらいの男の子が、俺のヴァイオリンケースをじっと見ていた。


「どうかした?」俺は笑って尋ねる。


「お兄ちゃん、これ、ヴァイオリン?」男の子は素朴に問う。


「うん。よくこれが、ヴァイオリンだってわかったね」


「僕のいとこが昔、コントラバスを演奏してて、その時に同じケースを持った人がたくさんいたから」と男の子は得意気に答える。


「弦バスしてるなんてカッコいいね」俺は波長を合わせて笑う。


「ね、お兄ちゃん演奏してよ」男の子は尋ねる。


「さすがに、今すぐは難しいかな」


 俺は苦笑すると、前方に建つ大きなコンサートホールを指差す。男の子も釣られて顔を向ける。


「お兄ちゃん、今日のお昼にあそこで演奏会するんだ。よかったらご両親と一緒に見においで」


 そう言うと、男の子は「うん!」と元気よく頷き、高架下に座っているお母さんらしき人の元までぱたぱたと走っていった。

 俺は彼の背中を見送ると、周囲を見回す。


 屋外で演奏する機会はほぼないが、このような自然から生まれる音色に溢れた環境でヴァイオリンを弾くのは心地良さそうだな、と素直に思った。

 特に高架下は、橋までの天井が高く、音に包まれて小さなコンサートホールのようになりそうだ、と内心思う。


 もう一度大きく息を吸って空気を味わうと、会場へと足を進めた。



***



 演奏するコンサートホールは、街から少し離れた地方に位置するものの、会場内は優美で格式高い空間だった。

 玄関は豪華な装飾が施され、絨毯の敷かれた広い階段、ホール内は天井が高く三階席まで備わり、金色の柱や彫刻からも品位を感じられた。何度か訪れたヨーロッパにある劇場を彷彿とさせるような建築だ。

 外観から想像できなかっただけ目を丸くした。


「さすがに、こんな場所にさっきの子が来るのは難しいかな……」


 俺は苦笑する。飛び入り参加なだけに、まともに下調べをしていなかったのだが、まさか地方にあるコンサートホールが、こんな気品漂う建築だとは想像しなかった。

 

「白金くん」


 名前が呼ばれて顔を向けると、細身のスーツを着用した恩師が立っていた。


「すごいでしょ、ここ。今年の夏に、できたばかりの会場らしいんだ」恩師は周囲を見回しながら言う。


「あなたが関わってるって理由もわかりましたよ」俺は肩を竦める。


「さすがに建設から携わってるわけじゃないけどね。一目見て、一度使用してみたいと思ったんだ」


 恩師はにこやかに答える。

 控室はこっちだね、の言葉に、彼の後に続いた。


 控室のドアを開けると、中は白一色で統一され、真新しい新築のような香りが漂っていた。


「今日は祭りで人が集まるとはいえ、中々入り辛いのでは?」

 机にヴァイオリンを置きながら、何気なく恩師に問いかける。


「いや、むしろそのイメージを払拭するように、今回企画したって感じなんだよ」

 恩師は、得意げな顔をして指を鳴らす。


「外観は特に目立つわけでもないからね。こんな立派な会場があるなんて、多分、地元の人もまだあまり知らないんだよ。それに、君のおかげでより一層親近感が湧くかもね」恩師は意地悪そうに目を細める。


「俺のおかげ、とは?」俺は素朴に問う。


「君の腕は確かだ。だからこそ、外見から受ける印象とのギャップがおもしろいなって」


 恩師は俺の頭部に目を向けて言う。俺は苦笑しながら、自分の頭髪に触れる。


「確かに、こんな派手な髪色の人が、このような場所でヴァイオリン弾いてたら、少し親近感は湧きますね」


 音出しはむこうにある部屋使ってね、と恩師は言うと、足早に何処かへ向かった。


 時計を確認すると、開場まであと二時間を切っている。俺が出演するもの以外にも何組か詰まっているらしく、祭りの終了する夜までスケジュールが組まれてるという。


 俺は相棒を手に取ると、練習部屋へと向かった。



***



 演奏終了後、外の空気に触れる為に裏口から外に出た。


 久しぶりに広い場所で演奏したことからも胸が高揚していた。ホール内が品位漂う空間であることはともかく、天井が高く、伸びるように残響がこだまする。恩師がもっと知られるべきだ、と考えるのも納得できるなと素直に思った。


 何気なく玄関の方へ顔を向けると、先ほど川で出会った男の子がお母さんに手を引かれて会場を後にする姿が目に入る。

 本当に来てくれたんだな、と嬉しくなり、口角が上がった。


「白金、だよな?」


 突如、覚えのない声で名前が呼ばれて顔を向けると、俺と同世代ほどの男女が立っていた。


 一人は首にヘッドホンを下げて飄々とした軽い感じの男、もう一人は黒髪で白い肌の目鼻筋の通った小柄な女だった。

 カップルにしては不釣り合いだな、と内心考えながら首を傾げる。


「昔、何度か青原の会場で演奏会来てただろ。俺もあそこで演奏したことがあってさ」

 

 ヘッドホンの男が軽快に話す。確かに中学の頃、この男の言った会場で何度か演奏はしたことがある。

 だが、俺にとったらこいつは知らない奴だ。一方的に俺のことを知っているのだろうが、友人のように馴れ馴れしく接されることが少し不愉快だ。

 

 俺が無反応でいると、隣にいた黒髪の女が前に出てこちらに近づく。


「玲央さんに、少し頼みがあるんですが……」


 黒髪の女は、たどたどしく口にする。

 俺の名前を呼んだ彼女の声の響きに、どこか馴染みがあり眉をしかめる。


「うちの学祭の演劇に、玲央さんの制作された楽曲を使用させてくれませんか?」



――――――玲央



 俺は、無意識に背筋が伸びていた。


「…………君、名前は?」


「え?」黒髪女は目を丸くする。


「まずは、何者か名乗るのが、常識だよ」俺は柔和に笑う。


「えっと……」黒髪女は、少し目を落として口を開く。「紫野学園高校に通う、桃山明日香です……」


 目を丸くした。


 あのノートに記載されていた高校に、名前。

 妙に勘が冴えて名前を尋ねたが、こんな偶然、重なるものなのだろうか。


 彼女は顔は美人であるが、衣服からもそう位の高い人物には見えない。

 顔見知りでないのは確かだが、学校と名前が一致していることと、この変に胸が騒ぐところが見逃せなかった。


「えっと、あの……」


 沈思黙考を続ける俺に、桃山は促す。


「……いいよ。俺の楽曲でよければ。学祭なら、全然使用料とかも必要ないからね」


 俺はひらひらと手を振って答える。


 あのノートには「万が一、この名前の子が俺の元に訪れたら、歓迎するように」と記載されていた。

 理由はわからないが、確実に俺が書いた文字だった為、行動する根拠にはなる。


「音源は、どうしようか?」


「あ、大丈夫です。CDを持ってますので」


 桃山はそう言って軽くお辞儀をすると、ヘッドホン男の元まで戻り、二人は会場を後にした。

 俺はその場で茫然と立ち尽くしていた。


「CDを持ってる……?」


 作曲はしているものの、生演奏が基本形にしてる為、メディアといった媒体で販売した経験はほぼない。それこそ、練習で録音したものを知人に渡したくらいだ。


「連絡先くらい、聞いておくべきだったな……」


 俺は首を傾げながら控室へと戻った。



***



 すっかり気候は秋となり、制服の移行期間も始まる。久しぶりに白ブレザーに腕を通し、馴染みの庭園で秋の気候を味わっていた。

 今日の授業は、午後から受験対策の講座が開かれる為、受講する者以外はすでに放課後時間だ。


「静かだなぁ……」


 ひやりとした風が、天を覆う木々の葉を揺らす。サラサラという心地良い音が静かに響くほど、辺りには人気が感じられない。


 普段なら、どんなに一人になりたくても、寧々にはすぐにバレていたものだった。

 発信器でもつけられてるのかと疑った時期もあったが、素直に俺の好みそうな場所に見当つけて行動していたんだろうとは納得できる。それだけ彼女は、俺のことだけを見てくれていたからだ。


 俺は目を閉じて思考する。


 あの日、寧々に別れを切り出した時は、散々怒られ、散々喚かれ、散々罵倒された。

 当然だ。前触れもなくいきなり口にしたのだから、俺にも罪悪感はあった。


 具体的な理由もないのに、別れを切り出した自分自身に対して正直驚いていた。

 少なからず恋人にしても良いと思える位ではあった。寧々の家の会社が倒産したならまだしも、彼女自身に非があった訳じゃない。


 だが、どうしてか。どうしても彼女との関係を終わらせたくなった。



 穴の空いた胸に手を当てる。いまだ変わらず空洞で、冷たい風が通っているようだ。


「これが、虚しいというやつなのか」


 寧々と別れたからなのか、それとも何か別の感情からくるものなのか。


 消えた記憶と何か関係するのかな、とふと思う。


「記憶、ねぇ……」


 最近ネットで話題にされてる『永遠印』という指輪。

『恋人優待』なるものが利用できる代わりに使用条件を破ると、身体的ペナルティが与えられると判明し、一週間前に販売停止された。


 こんな奇妙な騒動、メディアが見逃す訳ないはずなのに、何故か表立って取り上げられてはいない。それに、容疑者についても一切公表されなかった。

 金の臭いがするな、と苦笑する。同類だから嗅ぎ分けられるとも言える。


 気になるのは、それらのニュースを見た際に「記憶が消された」という言葉が飛び出たこと。

 夏休みの記憶のない俺にとったら、見逃せるわけがない発言だった。


 俺は基本、手にアクセサリーはつけない。だから『永遠印』に手を出していたとは思えない。

 だが、寧々は俺の予想もしない突飛な行動に出ることがある。

 俺が昔、付き合っていた彼女の両親が経営する企業を破綻させたことや、俺のスマホから家族含む女の連絡先を全て消したこともある。


 もしも、寧々のせいで指輪を着用させられ、ペナルティを受けることになり、記憶が消えているのならば。


 それに、あの演奏会で出会った『桃山 明日香』と名乗った黒髪女のこともある。

 ノートに記載されていた『紫野学園高校』と『桃山明日香』に関わりある人物が、彼女以外にいると思えないが、俺とどういう関わりのある人物かが全く思い出せなかった。

 ノートに書かれていたことで、記憶の消えた二か月間で関わった、重要な人物であることには違いないはずだ。


 ニュースでは、次第に記憶が思い出せたという言葉も聞いた。

 何の根拠もないものの、俺も思い出せる日が来るのでは、と少しばかり期待していた。


「本当、俺らしくないよね……」


 俺は寝転んだまま、隣に置いた鞄につけているミサンガに触れた。


 その瞬間、つんざくような音が響いて頭を抱える。ガンガン打たれるような衝撃が走り、脳に亀裂が入った感覚に陥る。 


「何だ、これ……」


 それと同時に、亀裂から裂けるように埋もれていた記憶が溢れ出した。


 目前には全く覚えのない光景が広がっている。この記憶が俺自身経験したものなのかの判別が、すぐにできなかった。


「あれ……?」


 だが、それらは空白だった時間を埋めるように、徐々に脳に定着し始める。


『紫野学園高校』


 これは、俺がゲームのステージとして準備した、二ヶ月だけ通った私立高校だ。理事長の行動力あって、偏差値は低いものの部活動は全国レベルではある。最寄駅の近くのワックが生徒の寄り道スポットだった。


『城島』


 これは、俺がゲームを攻略する為に生み出した女好きのキャラクターだ。明るい茶髪にパーマのかかった掴みどころのない性格。名前は読んでる本から適当につけたものだった。


『桃山 明日香』


 この名前は、


 思い出すと同時に、俺の目から感情が溢れ出した。


「……やってくれるね……唯ちゃん…………」

 

 俺は、勢いよく身体を起こして鞄を手に取ると、駅まで駆け出した。



***



 慌てて改札を抜けて、特急電車に飛び乗る。乗車してる間も気が落ち着かなかった。


「何で、忘れてたんだ……!」


 俺は悔しくて顔を歪ませる。

 演奏会で会いに来てくれたにも関わらず、彼女を満足に迎えられなかった。


「でも、明日香ちゃん……俺のCDを聴いてくれてたんだな……」


 記憶が完全に消えていたはずなのに、彼女の中に少しだけ俺が残っていたんだと実感でき、胸が締めつけられた。

 愛しくて気を抜くと感情が表に溢れそうになる。

 


 最寄駅に辿り着いた時に、彼女の連絡先を知らないことに気づく。


「また、勢いだけで行動しちゃってるし……」俺は苦笑する。


 とりあえず、前方に見えるワックに寄ろうと足を進める。


 記憶が抜けていたとはいえ、一ヶ月前のことだ。何度か訪れたことで駅前のワックも馴染みとなっていた。

 何か行事が近いのか、ワック内は打ち合わせをしてる紫野学園高校の人が多い。菅の憧れる放課後時間が広がってるな、と口角が上がる。


 期待をしたわけではなかったが、奥の席に視線を向けて目を見開いた。


 そこには三人の、見知った顔があった。


 一人は栗色でゆるくウェーブのかかった髪をした派手な外見の海堂。夏休み明けから姿を見なかったが、今はころころ表情を変えて忙しなく口を動かしている。


 彼女の前には、ボブヘアの素朴な顔の風嶺。大人しく気弱そうに見えるものの、彼女のおかげで今、俺は再びこの場に来ることができている。


 そして、彼女の隣には、漆黒の髪に白い肌の桃山。相変わらず笑顔はないデフォルト顔ではあるものの、今一番見たかった、愛しい顔だ。


 俺はゆるむ口元を手で覆いながら、彼女の元へと足を進めた。




part4:a tempo 完



「どうぞ」


 俺は鍵を開けると、入室するように促した。

 桃山は緊張した面持ちでおずおず部屋の中に入る。


「この部屋に入れるのは、妹だけだったんだよ」


 俺は、物珍しそうに室内に置かれた機材を見る桃山に伝える。彼女は歯痒そうに口を歪めて俯いた。


 俺はソファに腰を下ろすと、桃山に向き直る。


「明日香ちゃん、こっち来て」


 俺は桃山に手招きする。彼女は警戒の目で静止する。


「何もしないって」俺は肩を竦めて苦笑する。


「だって……」桃山は頬を染めて目を落とす。


 彼女の言いたいことはわかる。みんなの前でいきなりキスしたんだ。自分でも何の説得力もないとはわかるし、正直、下心がないとは言えない。

 だが、あの場であんなことをした本当の理由を言っても納得されないとはわかっているので、弁解はしなかった。


「明日香ちゃん」

  

 俺は目を細めて笑う。

 意を決したのか、桃山は俺の隣にちょこんと座った。


「明日香ちゃん、俺の演奏会来てくれたでしょ。どうしてあのCDの『白金』だってわかったの?」


 俺は素直に抱いてた疑問を投げかけた。確かジャケットは外して、CD自体にも名前など一切記していなかった。


「風嶺さんが教えてくれて……」


「唯ちゃんが?」


 予想外だった。彼女には俺がゲームプレイヤーだとは伝えたが、『白金』にまつわる話は一切した記憶がない。

 とそこで、演奏会に一緒に来てた赤井が俺のことを知っていたと思い出す。彼から風嶺に伝わった可能性もあるか。


 ここまで思い出して懸念事項が浮上する。

 俺は僅かに強張った顔で、彼女を見る。


「明日香ちゃんってさ、今、付き合ってる人はいない……?」


 大事なところを確認していなかった。

 彼女が赤井と付き合ってるようには見えなかったものの、それでも男と二人で外出するほどに壁が薄くなったことには違いないんだ。

 元々、彼女は容姿が飛び抜けて良い。勢いで連れて来てしまったものの、今更不安になった。


 だが、彼女はすぐに首を横に振って返答した。


「いるわけない。だって………ずっと玲央が好きだったから…………」

 

 桃山は小さく震えながら呟き、次第に目から涙が伝った。

 俺は黙ったまま、彼女の頬に手を当てて涙を拭う。


「やっと、言わせてくれた……」


「あの時は、本当にごめん……」


 俺は素直に謝罪する。

『恋愛ゲーム』のことは、世間では信用されていない。理由を告げたところで、信じてもらえる気がしなかった。


「でも、これだけは信じてくれないかな」


 そう言うと、俺は彼女の頬にキスをした。


「俺も、明日香のことが好きだよ」


 繕うことなく心から想いを伝えた。


 桃山は、涙で潤んだ瞳で茫然と俺を見る。

 

「信じられない?」


 苦笑して尋ねると、桃山は少し困惑した表情を浮かべる。


「だって、あなたは、突然いなくなった……」


「もう、絶対離れないよ」


 俺は彼女の顔を引き寄せ、再び頬にキスをする。


「本当にごめんね、明日香」

 

 何度も謝罪して、何度も名前を呼ぶ。

 そのたびに頬、目、鼻、おでこ、と夢中で彼女の顔にキスをした。


「ちょっと……」


 胸に圧力を感じて正気に戻る。

 目を落とすと、桃山は顔を真っ赤にし、小さな手で俺の胸を押していた。


「恥ずかしい?」

 さすがにやりすぎたとは反省してる。


「こんなの……初めてで…………」


 桃山は、目をぐるぐる回転させて困惑していた。 


 彼女の全てが愛しくてずっと頬が緩んだままだ。

 今、自分でもどんな顔をしているかわからない。


 俺は頬から手を離すと、彼女の目をまっすぐと見た。


「明日香ちゃん。キス、してもいい?」


 そう尋ねると、彼女はしばらく静止するも、無言で頷いた。


「じゃ、目閉じて?」


 桃山は俺の言葉を聞くと、口を結んで目を閉じた。


 その瞬間、心臓が高鳴った。

 キスなんて散々してきたはずなのに、こんなに胸がしめつけられるほどに愛しい行為だと思わなかった。

 これが、ドキドキするってことなのか。


 俺は桃山の顔を引き寄せると、じっくり味わうようにキスをした。唇を柔らかく噛み、歯を舌でなぞる。彼女の小さな舌と不器用な息遣いすら愛しかった。


 顔を離すと、桃山はぼんやりとした顔で俺を見る。


 プツンと、何かが弾けた。


 気づけば彼女をソファに押し倒し、俺は自分のネクタイを緩めていた。

 桃山は目を見開いて驚いている。状況が掴めていない様子だ。


 でも、感情の押さえ方なんて、俺が知る訳ない。


「明日香のことで、頭いっぱいにさせてよ」


 俺は桃山の白い頬に手を当て、艶やかな声で尋ねる。


 やっと状況を察したのか、彼女は顔を真っ赤にして、眉間にしわを寄せて俺を睨む。


 俺は口元を緩めると、桃山の耳元に顔を寄せて、耳にキスをする。彼女は反射的に身体をびくりと震わせた。


「……嫌?」


 低い声で囁く。

 桃山はしばらく黙り込むが、小さく首を横に振る。


「もう、絶対に忘れさせないよ」



『罰××ゲーム』 完