• 成瀬 紫苑

「罰××ゲーム」part2:Andante

上流階級の青年が、ゲーム攻略の為に「女好き」のキャラクターを演じる外伝



←前「part1:Vivace」



【part2:Andante】


 夏休みが明けた始業式。

 陽光が肌に突き刺さる。今日は確か四十度を超えるはずだ。自らの足で登校する経験がほぼなかった為、一周回って新鮮ですらある。スクールバッグから制汗シートを取り出し、湧き出る汗を拭った。


 校門前に立つ、小太りで丸い体格の教職員が目に入る。この暑い中、熱心に生徒を呼び出しては指導している。名前は忘れたが、確か生徒指導長だったはずだ。


 俺の頭髪が目立つから忠告してくれたのか、夏休み前に隣クラスの海堂 菜々美(カイドウ ナナミ)に、この先生の情報を聞いたものだった。

 彼女は『永遠印』をしていたが、カラーストーンが正規の色だった為、攻略対象から外れていた。彼氏持ちを攻略するのが面倒だとは考えなくてもわかる。退屈はしない女だったが、最近は連絡すらないものだ。

 

「おまえ、何だその頭は?」


 案の定というべきか、小太りの先生は俺を呼び止めて指導を始める。海堂の言う通り、やはり頭髪が引っかかったようだ。


「や、実は彼女と別れてしまって……」


 軽い調子で答える。寧々のせいでこうなったので、あながち嘘ではない。

 俺の発言がよほど気に障ったのか、生徒指導長は顔を真っ赤にして怒り始めた。


 ふと視線を感じて顔を向けると、一人の女が目に入る。

 ボブヘアの素朴な顔、スカートの丈も弄っていなければ、髪も染められた形跡のない、大人しそうなタイプだ。呼び出されてる俺が気になったのか、足を止めてこちらへ顔を向けている。


 茫然と彼女に視線を送っていたが、左手を見て目を見張る。

 彼女の左手薬指には、見覚えのある黄色のカラーストーンのついた指輪がつけられていた。


「真面目そうに見えるのに、おもしろいことしてんじゃん……」


 思わず口角が上がる。

 俺の視線に気づいた彼女は、慌てて顔を逸らした。

 

 ちょうど趣向を変えようと思っていたところだ。


 生徒指導長が息巻いて吐く罵倒とも呼べる言葉を適当に聞き流しながら、どのように攻略すべきか、策を練り始めた。



part2:Andante



 紫野学園高校に訪れた理由として「等身大の高校生活を知る為」と告げていたこともあり、基本的に午前は真面目に出席した。

「ここは押さえておけ」と力強く言い放つ先生が多いものだ。夏休みも開け、本格的に受験の為に授業体制も整えられているとわかる。

 進路はゲームが開始する以前に固めていたので、今更慌てる必要もない。余裕があるからゲームに対してもここまで費やせていた。


 昼休みになると、教室を出て学内を散策した。


「この学校に、庭園はないんだね」


 いや、ないのが普通なのか。俺の通う高校が異常だと、たびたび忘れてしまう。

 グラウンドの近くに、木々が生い茂る小さな森を見つけて足を踏み入れる。手入れはされてないものの、人気を感じずに肌を焦がす日光も遮られた空間だ。


 昔から自然の中に身を置いて休むことが好きだった。普段、ノイズが多い環境であるだけ身体が浄化される気分になる。


 適当なベンチを見つけて寝転がる。体育の授業なのか、グラウンドから聞こえる声に、耳を傾けながら思案に暮れた。 


 子どもの言葉を思い出していた。

 今の俺は『城島』というキャラクターだが、確かに『白金』でいる時もキャラクターだと言われても、納得できるところがあった。


『白金』が生まれつき、人よりも高いステータスであるとは自負している。

 容姿で悩んだり、授業内容が理解できなかったり、お金に困ったことがない。その為、俺へ向けられる感情が「羨ましい」「妬ましい」が通常だった。

 そして俺は、その『白金』というイメージを崩さない為に、テストで結果を残したり、愛想を振りまいたり、身分の高い彼女を隣に置いていた。


 だからこそ、ヴァイオリンを弾いている時だけが、唯一の自分でいられる時間だと感じていた。


「俺って、何なんだろうな…………」


 急激な眠気が襲ってきた為、目を閉じた。



***



「え、何で俺が?」


 授業終了を知らせるベルが目覚ましとなり、教室に戻った際に担任に思わぬことを告げられる。


「せっかく転校してきたんだ。うちの生徒として、学校行事に取り組むべきだろう」担任は嬉々として提案する。


 彼の余計なお世話のおかげで、体育祭の応援合戦というものに出場させられる羽目になった。

 応援合戦は、俺の通っている高校でもあったが、生徒中心に創り上げるもので、正直疲労が大きいイメージしかない。

 俺の為とは口にしながらも、彼の同情が混じる目の色から中々メンバーが決まらずに、その場にいなかった俺に押し付けたとは想像できる。


「それに、ホームルームをサボるおまえが悪い」


 担任はピシャリと言い捨てる。正論なので反論できない。


「それは、すみません」俺はへらっと笑って頭を掻く。


 体育祭の日が制限時間終了日の為、正直その日までこの学校に残っているとは思えない。

 とはいえ、すでにホームルームは終了している。今更何を言ったところで結果が覆るわけじゃない。

 面倒ではあるものの、どうせゲームが終われば消えてしまう。軽く適当に流せばいいだけだ。


「城島さん。今日の放課後は、応援合戦の打ち合わせでワックに寄りますよ」


 クラスメイトの菅 真之介(スガ シンノスケ)が意気揚々と宣言する。彼も応援合戦のメンバーらしい。

 生徒会長を担っており、真面目に見えるものの、内心学園生活を楽しみたいとわかりやすい人物だったので、見てて退屈はしなかった。


 あまり放課後に遊ぶ経験がないのか、どこか浮き立っている菅の背中を見ながら、駅前のワックへと足を進める。



***



 駅前のワックに辿り着くと、少し人で混雑していた。紫野学園高校の生徒の寄り道スポットなのか、同じ制服を着用した人がちらほら確認できる。


 周囲を見回して無意識に選別しているところからも、ゲームプレイヤーとして、『城島』というキャラクターとして地についてきたな、と自分でも思う。


 奥の席に視線を向けた時に見覚えのある女を発見する。今朝、黄色の指輪をはめていたボブヘアの女だ。黒髪で小柄な女と二人で会話している。


 あまり学生が手を出せる品でないとはいえ、『永遠印』を着用してる人物自体に出会うのはそう珍しくはない。

 だが、ゲームプレイヤーに出会うのは初めてだったので、少し新鮮だった。


 彼女の外見からは、積極的に異性と交遊関係を持つような尻軽女には見えないものの、プレイヤーであるから異性と交流は持ちたいはずだ。

 今までと系統が違う対象であるだけ、彼女には興味があった。


 ポテト大袋を注文している菅をよそに彼女らに近づくと、「応援合戦」との単語が飛び出したことで、さっそく声をかけるネタに持ち出した。


「君たち、応援合戦に出るの?」


 俺に気づいた彼女たちは、こちらに顔を向ける。その目に警戒の色が混じっているとはすぐに感知した。今までは頭の悪い女ばかり相手にしていたので、彼女たちの反応が爽快ですらある。


「君たち、三年生?」


「は、はい……」ボブヘアの女が、嫌悪感の滲む顔で答える。


「何で敬語?俺と同じだよ」


「城島さん。早く話し合いをしますよ」


 注文を終えた菅が、ソワソワした調子で俺の元に寄る。


「だって、この子たちも応援合戦出るみたいだからさ。挨拶は必要だよ」


「あなたの挨拶は、他の目的も感じます」


「ひどいなぁ〜」その通りではある。


 参加を押し付けられたとはいえ、彼女たちも応援合戦に出場するとは運がいいものだ。ひとつでも繋がりがあるだけで、関わりやすくなる。


 視線を感じて顔を向けると、黒髪の小柄な女が俺の左手を見ていた。

 透き通った白い肌に鼻筋の通った整った顔。まっすぐに伸びた黒髪から「清楚」というイメージを具現化したようだ。変わらない表情からも、今まで見てきた中で、ダントツに攻略難易度が高いと判断できる。


「もっと、笑顔笑顔! 君、素材がいいんだからもったいないよ」


 警戒心を持たれないように、できるだけ笑顔で対応に努める。種は蒔けるだけ蒔いておいた方がやりやすい。


 さすがに、後ろで怒る菅を無視するのも不憫になってきたので、身体を戻す。

 目前で繰り広げられる、価値の見いだせない議論を聞き流しながら、思考を巡らせた。

 

 月曜日の放課後、攻略対象の選別の為に顔合わせに出席したものの、難易度の高そうな指輪をつけたボブヘアの風嶺 唯(カザミネ ユイ)と、黒髪美人の桃山 明日香(モモヤマ アスカ)に関心が向いていた為、それ以外には特に目移りしなかった。

 寄ってくる後輩の女を適当に相手して教室を出る。

 

 数回会話しただけだが、風嶺と桃山はガードが堅いので、攻略に時間がかかることは明白だった。今までは放っておいても向こうから来ていたが、難易度が上がるにつれて、こちらから積極的に仕掛けなければならない。

 その為にも、ぎりぎりまでカウントを稼いでおくべきだと、今日は学校が終わると街に出た。


 偶然乗車している際に女から連絡が来たので誘いに乗る。いつ出会ったのかすら覚えていないが、連絡先を削除していないことから、まだ攻略していない相手だとはわかる。


 カラオケボックスに向かう途中、見覚えのあるボブヘアの女が目に入る。と同時に彼女と目が合った。

 風嶺だ。手には大きめのクーラーボックスを所持している。


 彼女は目を丸くして静止している。恐らく俺が練習に参加せずに、街で女と遊んでいるから呆れているのだとは想像がつく。

 何とでも思えばいい。それに軽い印象を与えられた方がやりやすくはなるものだ。


 適当にカラオケボックスで戯れた後に、自宅と化してるホテルへと帰宅する。



 もはや作業と化していた。初めこそ、そんな空気に持っていく為に会話で繋いだものの、正直今では、それすらも面倒になっていた。

 俺と二人で会う時点で勝手に攻略可能と受け取り、早急に実行に移った。


 相手に何と思われようがどうせ忘れる。いらない手間をかけるのも惜しい。

 二人きりの空間になった瞬間に、顔を引き寄せて唇を重ねる。多少手荒な方が興奮するのか、拒まれることもなかった。

 キス以上求められた時以外は、適当に都合をつけてその場を去った。攻略したら連絡先は削除して脳内を切り替える。変に思い出を作りたくはない。

 このゲームの真意に気づきさえすれば、攻略は単純なものだった。


 だが次の日、想定外のことが起こる。



***



 昼休み、普段通りに教室を出ようとした時のことだ。


「城島」


 突如、冷静で突き刺さる声が響き、肩を震わせる。

 振り向くと桃山だった。その顔には怒りの色が混じっている。


「明日香ちゃん……?」


 彼女の反応の理由が読めずに、首を傾げる。

 小柄でありながらも、威圧感をひしひしと感じて、妙に萎縮した。


「練習に来なさい」


「え?」


「あなたが勝ちたいって言ったんでしょう。ちゃんと言葉には、責任を持ちなさい」


 淡々と、しかし重い言葉を放つ。こんな風に真向から叱られるのは初めてだったので、圧倒されてしまった。


「…………ごめんね。今日から、ちゃんと行くよ」


 軽く笑って答えると、桃山は表情を変えぬまま、この場を去った。


 呆気に取られていた。

 彼女は本気で勝ちたいと思っているのだろう。確かにそんな中で俺みたいな統率を乱す奴がいたら、頭に来るのも当然だ。


 元々カウント数がノルマまで達成したので、高難易度向けに体制を整えるつもりだった。だが、この件のおかげで休むという行為がやり辛くなった。


「担任……本当、面倒なことに巻き込んでくれたよね…………」


 いつの間にか昼休み終了のベルが鳴り響き、この場を離れるタイミングを逃してしまった。



***



 久しぶりに練習場に訪れると、記憶にない後輩の女が声をかけてくる。名前で呼ばれるのは不快であるものの、表に出さないように努める。


 風嶺があからさまに嫌悪感丸出しに俺を睨む。


「唯ちゃん、顔恐いよ」


 見当はついてるもの、苦笑して肩を竦める。


「……練習よりも、女の子が大事?」


 予想通り、風嶺は昨日、街で出会った時のことを持ち出す。

 

「何のことかな」


 軽く手を振って視線を逸らすと、前方の机で背筋を伸ばしてプリントに目を落とす桃山が視界に入る。凛とした佇まいでタイミングの確認をしてる彼女に息を呑み、目を落とした。


「君の友人に怒られちゃったからね。大丈夫、これからちゃんと来るよ」


 俺の言葉がよほど意外だったのか、風嶺は少し拍子抜けしたような顔になる。俺はそのままB組三年生の集まる場所へと足を進めた。


 三日間も無断欠席した自由奔放な俺に対して、菅が息巻いて言葉を捲し立てる。頭を掻いて反省した振りして聞き流した。


 宝皇士学院高校は、偏差値が高く、学費が通常の私立高校の約十倍はかかる。その為、周囲は学校の階級と親の権力に驕るような奴ばかりだ。

 俺が言えたものではないが、地位を下げない為に、努力や時間を金で買う行為が通常となっている。そんな奴らと同類に見られたくないからこそ、俺はヴァイオリンにだけは拘りを持っていた。


 今の俺は『城島』ではあるものの、人の努力を踏みにじる行為はしたくない。

 クリアまであと二人で、制限時間まであと十二日。まだ余裕はある。


 何かに真剣に取り組む人は、嫌いではないんだ。


「城島くん。具体的に指摘してくれるから、助かるよ」


 団長を務める速水が爽やかに褒める。彼には一切濁りが感じられず、何事にもひたむきなところが好感が持てる。


「やるからには勝ちたいじゃん」


 俺は、目を細めて答えた。



***



 休日、応援合戦の練習後にスタジオに向かった。


 桃山に呼び出されてから、練習は休まずに出席していた。

 輪に入らないように流しているものの、それでも同じ場の空気から彼らの熱意が俺にも感染したようで、久しぶりに消音器無しでヴァイオリンを弾きたくなった。


 紫野学園高校の最寄り駅から、街とは反対方向の電車で五本先、ちらほら人が確認できるほどの閑散とした駅に辿り着く。

 カラオケでも練習は可能なものの、ヴァイオリンを持つ場面が目撃されると危惧した為、あえて街から離れた地方にあるスタジオを借りた。


 駅から少し歩くと、広い神社が目に入る。

 この地に訪れるのは初めてだが、「夏祭りの出店の規模が桁違い」と、いつか攻略した女が連絡をしてきたことで、名前には覚えがあった。結局、返信すらしなかったのだが。


 大きな橋を渡ると、老朽化したスタジオが目に入る。外観は音漏れを心配するほど年季が入っているが、中に入るときちんと整備されているようで安堵する。愛想のいいおばちゃんに軽く会釈をして入室する。


 指輪を外せないのが癪だが、やはり隔たり無く鳴る音が至高だった。


 導入はパッヘルベルの『カノン』を弾き、チャイコフスキーの『ヴァイオリン協奏曲 二長調 作品35 第1楽章』へと移る。

 脳に染みつく濃い旋律からなされる特徴的な曲。中盤まではゆったりとしたヴァイオリンの独奏が響き、終盤にかけて徐々に激しくなる。俺が小学生の頃、コンクールの際に弾いたものだ。

 テンポが上がるにつれて左手指が複雑に動く。幾度となく練習して身体が覚えているとはいえ、薬指の違和感のせいで引っかかりを感じ、そのたびに小さく舌を鳴らした。


 最後に、忙しない夕時から静かな夜へと移る情景を描いた自曲で心を洗う。

 ヴァイオリンを弾いてる中でも、やはり自曲は特別だった。音やリズム、テンポ、自分の持てる全てを注ぎ込んだ技術や感情から紡ぎ出される曲であるのだから当然でもある。


 仮面を脱いだ感覚だった。ヴァイオリンに触れている瞬間だけは、雑念や邪念といった雑音が介入せずに、脳が洗練される気分になる。

 虚構に埋もれた中に本来の核があると再確認できて、どこか安堵した。


 あっという間に二時間が経過する。時計は午後八時を指していた。

 手入れを済まして部屋を片付けると、スタジオを後にした。



***



 外に出ると、すでに日は沈んでいた。近くに大きな川があることで、より一層冷やされた風が身体を襲う。秋を先取りした感覚になり、無意識に胸を開いて深呼吸していた。


 休日の夜だからか、忙しなく車が走行している。前方には工事中の足場の組まれた建物が目に入る。施設かショッピングモールでもできるのか、かなり大きな建物だ。

 周囲は自然に囲まれているものの程々に活気があり、住みやすそうな居心地の良い街だなと感じた。

 

 橋の上から何気なく川に目を落としていたが、高架下に見覚えのある姿が目に入る。


 真剣な顔でノートに目を落とす桃山がいた。Tシャツにジャージといったラフな格好からも、演舞の練習をしているのかもしれない。

 しばらく眺めていると、予想通りノートから顔を上げて、身体を動かしてタイミングの確認を始めた。


 練習は男子と女子で別れている為、女子サイドの練習はほぼ見たことがなかったが、外見からも彼女は普段、運動をするようなタイプには見えない。みんなに遅れを取らない為に練習しているのだろう、とは見当がつく。

 とはいえ、昼休み、放課後の集会に欠かさず参加しているにも関わらず、こんな時間まで費やすとは熱心なものだ。


 桃山が再びノートを手に取ったタイミングで下に降りる。

 周囲は暗く、また真剣な面持ちで確認しているからか、そばまで寄っても俺に気づく様子がない。


「桃山」


 強くて低い声で呼ぶ。彼女はびくりと身体を震わせ、片耳につけたイヤフォンを外しながら俺に振り返る。


「………………何?」


 桃山は冷たくて刺さる声で答える。相変わらず真顔だが、今は僅かに羞恥の色が混じっている。


「明日香ちゃんのマネ〜」俺は、普段の笑顔で答える。


 桃山は、反応を示さずにそっぽを向く。俺はその場に腰を下ろした。


「偶然、見かけたからさ。普通に驚いたよ」


「……ここ、私の地元だから」


「へぇ。そうなんだ」素朴に驚く。「でもえらいね。学校外でも練習してるなんて」


 足元に生えたエノコログサを摘んで、花穂を弄る。


 素直に褒めたつもりだが、反応がない。

 彼女に顔を向けると、顔を逸らしたまま俯いていた。


「ごめん。邪魔だったかな」苦笑しながら尋ねる。


「そんなんじゃない。普通に恥ずかしいから」


「恥ずかしいことじゃないと思うけどね」


 本心だと捉えてもらえるように、敢えてさらりと返す。


「何事にも真面目に、熱心に取り組む人はえらいよ」


 俺の口からこんな言葉が飛び出すとは思っていなかったのだろう。桃山は毒気の抜けたような顔をして俺を見る。


 数秒間があった後、彼女は「だって、みんなの足を引っ張るようなことはしたくないから」と無愛想に呟いて、俺の隣に腰を下ろす。


「普段運動しないから、中々覚えられなくて」


 照れ隠しなのか、桃山は滔々と弁解をする。普段冷静なだけに、そんな彼女の姿が新鮮で、無意識に口元が緩む。


「練習は大変じゃない?」

 中々ハードでしょ、と世間話のように問いかける。


 彼女は一瞬黙ると「でも」と口を開く。


「楽しいよ」


 桃山は僅かに口角を上げて微笑んだ。予想外の反応に目を丸くする。


「……サボったりして、本当にごめんね」


 今更、罪悪感が襲った。

 応援合戦は団体競技だ。一人でも足並みを乱す奴がいると、バラバラになるとはわかり切ってる。特にうちの赤組は、やる気のある奴らばかりだから尚更だ。

 どうせ忘れるとはいえ、後味は悪くしたくない。


「今はちゃんと参加しているから、別に気にしてない」桃山は顔を背けて無愛想に答えた。


「でも、こんな時間に一人は危ないよ?」


「家が近いから平気。それに」


 桃山は顔を上げると、前方に建つ家を指差した。「あそこに、セコムがいるから」


「セコム?」


「瞬」


「あぁ」俺は苦笑する。指差された家が速水の家なのだろう。「確かに彼が近くにいるなら安心だね」


 そう言うと、彼女は無言でこくりと頷いた。


 水の流れる音が心を穏やかにさせる。この川は幅が広く、頭上を走行する車の騒音も気にならない。不意に吹く風で草原がサラサラと鳴り、対面ではランニングする若者が目に入る。


 速水の家が近いとはいえ、攻略対象は手を伸ばせば触れられる距離にいる。周囲は暗く、人気も感じず、カウントを稼ぐのは容易だ。他の対象だったらすぐに実行に移っている。

 

 だが、どうしてなのか。今はそんな気分になれなかった。

 

「……それは?」


 桃山の呟きが耳に届き、我に返る。

 彼女の視線は、俺の隣に置いてある、ヴァイオリンケースに向けられていた。


「あぁ、これは……」


 と、ここで一瞬、言葉に詰まる。

 逡巡した結果、ケースからヴァイオリンを取り出した。

 桃山は驚いた顔になる。


「……俺みたいな奴が、ヴァイオリンをしてるのは、意外?」


「うん」


「即答。素直でよろしい」


 軽く笑って受け流すと、消音器を着用して相棒を構えた。



 演舞で使用されている曲は、何度か聴いたことで、すでに脳内に刻まれていた。

 桃山の練習していた箇所を思い浮かべながら弓を引く。


「明日香ちゃんが練習していたのって、この部分だよね」


 軽く弾いた後に確認すると、桃山は無言で頷く。


「このパートは拍子が複雑だからね。頭で理解するよりは、何度も聴いて感覚で掴むしかないよ」

 

 俺は構え直すと、再び弓を引いた。


 簡単にアドバイスだけするつもりだったが、やはり触れるとスイッチが入る。意識した瞬間、周囲に霧がかかった。


 自然から鳴る音と調和の取れたアンサンブル。橋に反響し、今この場にいる俺と桃山の間だけに包まれた。ノイズが一切響かずに、澄んだ空に輝く星さえも協調してるように感じられる。

 弦楽器は陽に弱く、中々屋外で演奏する機会がないだけ高揚していたのかもしれない。


 俺はすっかり、『城島』であることを忘れていた。


 最後まで弾き終えると、ぱちぱちと乾いた肌の接触する音が耳に届く。顔を上げると、桃山が真顔で手を叩いていた。


「すごいね」


「そんな顔で言われても」肩を竦めて揶揄う。


 桃山は少しムッとした顔をするも、名残り惜しそうに手を鳴らした。

 俺は前方に向き直り、小さく溜息を吐く。


 ヴァイオリンはゲームに持ち込まないと決めたはずなのに、熱心に練習する桃山を見てると対抗心が燃えてしまった。

 俺にも熱中するものがあるんだ、と間接的に教えたくなったのかもしれない。


「もう一曲」


 桃山は俺をまっすぐ見て要求する。

 俺は一瞬考え込むと、意地悪そうに口角を上げた。


「実はさ、俺、こう見えてもプロなんだよね」


 そう言うと、桃山は目を丸くして驚く。


 嘘じゃない。今は学業優先ではあるものの、音楽団の演奏会に出演した機会もあれば、楽曲を提供した経験もある。今回ゲームの為に利用した金も、全てヴァイオリンで得たものだ。

 家柄的に本業にはできないものの、今後も手放すつもりはない。


 俺が何を言いたいのか察したのだろう、桃山は肩身が狭そうに口を噤む。俺はすぐに言葉を続ける。


「あ、さすがにお金をくれとは言わないよ。でもひとつ、お願いを聞いてくれないかな?」


「お願い?」桃山は素朴に問う。


「うん。簡単なことだよ」


 俺はヴァイオリンを膝に下ろすと、桃山に向き直る。


「俺のことは『城島』じゃなくて、『玲央』って呼んでくれないかな?」

 

 予想外だったのだろう、俺の要望を聞いた桃山は、目を白黒させて静止する。

 

「苗字で呼ばれることに慣れてなくてさ。それに名前の方が、明日香ちゃんとの距離も感じないしね」


 俺は、にこっと笑って両手を広げる。

 桃山は考え込むような顔になり、呆然と天井を見上げた。


「……そこまで難しいことかな?」


 やり辛くなり、肩を竦めて尋ねる。


「玲央」


 突如、冷静な声が響いて背筋が伸びる。

 

 桃山に顔を向けると、彼女は天井を見上げたまま口を開いていた。


「玲央……玲央……玲央…………」


「何してるのさ」


 予想の斜め上の反応に、さすがに吹き出しそうになる。


「名前を呼ぶ、練習」桃山は淡々と答える。


「明日香ちゃんは、真面目だね〜」


 投げやりに言葉を吐くと、手に持った石を放り投げる。ボチャンと音を立てて石は川底へと沈んでいった。


 視線を感じて顔を向けると、桃山が真っ直ぐ俺を見ていた。


「明日香ちゃん?」


「玲央」


 桃山は柔らかく微笑んで、俺の名前を読んだ。


 あ、まずいな、と脳内に警鐘が鳴り響いた。


「…………じゃ、アンコールに応えますか」


 俺は視線を避けるように顔を前方に向けると、ヴァイオリンを構えて弓を引き始める。

 桃山の視線を感じるが、目を閉じて遮断した。


 演奏してる最中も気が散り、集中できなかった。

 乱れることはないものの、満足できる音が鳴らない。

 汗が止まらなかった。自分で言ったくせに、こんなに動揺するとは思わずに困惑していた。 


 おぼつかないながらも弾き終えると、桃山は先ほどと変わらない表情で手を叩く。

 俺は苦笑すると、手際よくヴァイオリンを片付けた。


「もう遅いからさ、気をつけて帰るんだよ」


 軽く手を振ると、逃げるようにその場を去った。


「何、言ってんだろ……」


 あんなチャンスは滅多にない。もっと他に、要求すべき事項はあったはずだ。 

 だが、後悔は感じずに、満たされている自分がいる。


 無意識にゆるむ口を手で覆いながら、ホテルへと足を進めた。



***



 昨日、また一人女を攻略したことで、カウント数は『19』を刻む。

 結局十九人目まで、容姿につられる軽い女でカウントを稼いでしまった。

 だからこそ、最後の一人は高難易度に挑戦しよう、とすでに標的は決めていた。


 後始末を終えたホテル内で、不要となった女の連絡先を消し始める。

 制限時間まであと一週間弱。この先は、毎日寝床を探す手間がかかるが、相棒以外は金で賄えるので問題はない。



 練習の帰り道、流れで赤組の三年生と駅前のワックに来ていた。

 適度に距離を取り、傍観者でいる立場も慣れたものだ。

 目前で繰り広げられる会話を茫然と眺めながら、今後どのように行動すべきか思案に暮れる。


 ゲームが順調にすすめられていたから、調子に乗っていたのかもしれない。

 斜め前で、澄ました顔でコーヒーを啜る対象を一瞥する。ここまで気を緩められて、正直悔しくなっていた。


 どのように記憶が消えるかわからないが、あと一人だ。何か問題があったところで、数時間後には記憶が消える。

 最悪風嶺がいる。プレイヤー同士の情報共有は禁止されてない。多少、手荒に攻略したとしても、後から事情を話せば済む話だ。


「城島さん。あなたも話し合いに参加してください」


 菅の声が耳に届き、現実に引き戻される。


「何かいいね」


「何かいい、とは?」速水が素朴に尋ねる。


「青春って感じじゃん」


 頭が回っていなかったのだろう。見えたものそのまま口にしていた。

 第三者の立場で見物していたことから、俺の目には、目前で繰り広げられる議論が、菅の思い描くような眩しい放課後時間として映っていた。


「何、言ってるの」


 突如、冷ややかな声が耳を突き抜けて総毛立つ。周囲の人たちも絶句していた。


「桃山さん……?」「明日香?」


 風嶺と速水の、強張った声が聞こえる。


 恐々声の発生源へ顔を向けると、桃山が険しい顔でこちらを見ていた。

 

「明日香ちゃん……?」


「あなたも応援団の一人。ちゃんと輪に入って」


 桃山はピシャリと言い放つ。正面から叱られて、さすがに怯んでしまった。


 もう、この女には、とことん引き摺り込まれるものだ。


「……敵わないね」


 そう呟くと、適当に口を開いた。



***



「制作は、順調かい?」

 

 焙煎されたコーヒー豆の香りが立ち込める室内。理事長は、カップをふたつ机に置きながら尋ねる。


「えぇ。お陰様で、貴重な経験ができました」


 俺は差し出されたカップを手に取り、口をつける。

 口当たりの良い、爽やかなフレーバー。自宅では紅茶が定番だった為、この街に来てからは、コーヒーを嗜む機会が増えたものだ。


「あと一週間弱か」理事長は天井を見上げて呟く。「夏休みがあったから、一ヶ月ほどしかいられなかっただろう。本当にいいのかい?」


「すでに資料は揃っておりますから。そこで、お伝えしておきたいのですが……」


 俺は身体を起こして、居住まいを正す。


「もしかしたら仕事の都合上、九月十日以前に、この学校を去ることになるかもしれません」


「なんと、まぁ……」理事長はキョトンとした顔になる。「さすが白金くん。高校生でありながら、多忙だね」


「まぁ、ヴァイオリンは、ほぼ趣味みたいなものですが」俺は目を細めて笑う。


「だが君、応援合戦に出るのだろう。せっかくなら、体育祭まで残ればいいものの」

 

 理事長はカップに顔をよせると、香りを嗜み始める。


「それは」俺は目を逸らす。「俺の気分にも、よりますね」



 いつ去ることになるかは不明だ、という旨を告げて理事長室を出た後、そのまま応援合戦の練習へと向かう。今日は衣装合わせで場所が違ったな、と記憶を巡らせながら足を進める。

 室内に入ると、冷たい風が身体を覆った。普段クーラーのない部屋なだけに、エアコンの有難みを噛み締める。


 理事長室に寄っていたことで、すでに話し合いは開始されており、各々衣装を手に取って確認をしていた。

 普段着用することがない衣装なだけに、みんな浮き立っているようだ。


「へぇ~、衣装こんなんだ」


 三年生男子の集まる場所へとふらっと近寄り声をかける。

 衣装は黒一色の長ラン。生地も分厚く、かなり暑そうだな、と内心舌を出す。


「刺繍を入れることになりましたよ」


 菅が鼻息を荒くして俺に説明する。さすがと言うべきか、彼の目は爛々と輝き、誰よりもソワソワしてるとわかる。


 何やら視線を感じて顔を上げると、険しい顔で俺を睨む桃山がいた。

 普段から距離感には気を付けてはいたものの、昨日彼女に指摘されてからはやり辛くなったものだ。


「遅くなってごめん」俺は軽く手を上げて、謝罪した。 



***



 初めて衣装を着用しての全体練習日だった。

 体育館内に籠る熱気と、身に纏った黒い衣装で、身体が蒸されるようだ。

 面倒ながらも、舞い上がってる菅を適当に相手しながら、授業開始まで待機していた。


 何やら騒がしいなと顔を向けると、着替えの済んだ女の子たちが、ぞろぞろと館内に入ってきたところだった。

 平然を装いつつも、男たちはちらちら視線を送っている。俺らとは対照的に、白くて肌の露出の多い衣装だから仕方ないとは思う。

 小さく舌打ちをすると、対象に近づいて軽い調子で声をかけた。


 練習中、みんなの視線が桃山に注がれているとすぐに察知した。

 彼女はクラスでは大人しい方なのだろう。小柄であるだけ、なおさら目立たないとは想像できる。

 だが今は、身体全体を使って宙を舞い、底から発声し、存在が大きく感じられた。彼女の努力の成果が顕著に表れていて素直に感心した。


 そこでふと、裏腹の感情が湧いていると気づく。認識してしまったせいで、水を含んだスポンジのように急激に膨れ上がる。

 対面形式であるだけ、表に出ないよう気は払っているものの、頬が痙攣して引き攣りそうになった。


 速水の威勢のいい声を聞き流しながら、静かに目を落とす。



 潮時だ。罰の真意を理解した時から、慎重にゲームに取り組んでいたはずなのに、感情に振り回されている時点で思う壺なんだ。

 だが、どのように行動すべきか、自分では決断できなかった。



 練習が済み、各々着替えの為に体育館を後にする。


 そばでレンズの厚いメガネをかけた男が、手に持つタオルを茫然と眺めていた。

 タオルが明らかに女物で違和感を感じていると、風嶺が所持していたものだと思い出す。彼女がこの場に忘れて、メガネがそれに気づいたのだろう。どうすべきか悩んでいる様子だ。


「それ。俺の友だちのやつだから、返しておくよ」


 自分でも驚くほどに低くて冷たい声になった。メガネは関係ないものの、無意識に苛立ちが混じっていたのかもしれない。


 メガネは肩を震わせて数秒悩むも、おずおずとタオルを俺に差し出し、この場を後にした。

 俺はそのまま近くのベンチに腰かけて空を見上げる。


 ゲームクリアまであと一人。いつ、チャンスが訪れるかはわからないものだ。カウントが『19』を刻んだ時点で、いつでもこの街を去れる準備はできている。

 

「あの子に、賭けてみるかな」


 空に呟いて顔を下げると、何の偶然か、目前に俺を見る風嶺がいた。


「なあに? もしかして、見惚れてた?」


「そ、そんなんじゃない」


 風嶺は顔を背けると、そそくさと体育館ドアまで向かう。


「あ、もしかしてこれかな?」


 タオルを見せるように掲げると、風嶺は正しくそれだといった顔になる。


「後で届けようかなって、思ってたんだけどね」


 俺は立ち上がると、風嶺の元まで歩く。


「あ、ありがとう……」


 風嶺はおずおずと手を伸ばす。

 その瞬間、腕を空へ上げた。彼女は呆気に取られた顔をしている。


「お礼は?」俺は笑みを絶やさずに問う。


「えっと、さっき、ありがとうって……」


「そんなんじゃなくて、もっとちゃんとした」


 そう言うと、風嶺はあからさまに険しい顔になる。俺は笑顔を崩さずに言葉を続ける。


「もし、俺が声かけなければ、今頃、このタオルは君の元に返ってなかったんじゃないかな~。気になる子のタオルなら持ち帰りたいって変態もいるもんだね」


 円滑に流す為にも、都合のいい事柄をでっち上げる。先ほどのメガネが風嶺に好意を抱いていると態度で感知したから利用させてもらった。

 俺の言葉を聞いた風嶺は、表情を一変させて青くなる。外見通り、彼女も純粋なのだろう。