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  • 執筆者の写真成瀬 紫苑

「綱渡りの一週間」5日目:スーパーアカハラ

僕の自殺を止めたのは、無邪気な顔で笑う見知らぬ高校生だった。



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【5日目:スーパーアカハラ】


 五日目の夕方。僕は近所のスーパーへ向かっていた。

 昨日の掃除の疲れがあったのか、久し振りに家に帰ったからか、午後に起きるという罪深い行為をしてしまっただけに、「料理」というマトモな人間らしい行動を取ることで挽回したくなった。

 キッチンはゴミ置き場と化していた為、せめて一度でも本来の役目を果たすべきだろうと感じていたのだ。


 もちろん、まともに料理なんてしたことがない。

 だが今はネットでレシピが調べられるだけに、何とかなるだろうと根拠のない自信が沸いていた。

 

 日が西の空に低く沈んだ夕時。

 オレンジ色に染まった空が穏やかな空間を醸し出す。僕の傍を下校中の小学生が元気に駆けていった。


 早朝に出勤、深夜に帰宅という生活をしていただけに、こんな時間に地元を歩くのは久しぶりだった。

 昔から住んでいる街であるのに、未知の世界を探索している気分になる。


 何となく気分が良くなり、気付けばスーパーとは違う方向へ歩いていた。


 ヒヤリと冷たい風が吹く。その風に導かれるように足が動く。

 アパートの立ち並ぶ一帯を抜けると、一戸建ての住宅街が広がっていた。

 この辺りはほぼ訪れたことがなかっただけ、物珍しく周囲を見回してしまうものだ。


 住宅街を抜けた角には花屋があった。

 個人経営であろう店前には、色とりどりの花が並んでいる。

 どの花も茎が真っ直ぐに伸び、大きく花弁が開いていることからも、ひとつひとつ大切に育てられたのだと窺える。


 きれいな花に魅せられ、気付けば足を止めていた。


「どれが気になるんだい?」

 

 はっと正気に戻ると、店からおばちゃんがにこにこ笑いながら出てきた。


「あぁ、すみません……特にその花がきれいだなと」


 気恥ずかしくなり、頭を掻きながら手前に並ぶ花を指差す。

 値札には「ガーベラ」と記載され、赤やピンク、黄とカラフルな花だった。


「ガーベラは良いよ。一輪生けるだけでも生活が華やかになるからね」


 そう言っておばちゃんは、生けられているガーベラからひとつ、赤いものを手に取る。


「ガーベラは今が時期の花だよ。ほら、どうだい」


 そう言って、赤いガーベラを僕に差し出す。僕は慌てて手を振る。


「おや、黄色が良かったかい」


「いや、そうじゃなくて……」


「ひとつくらい構わんよ。ここで朽ちられるより、人に育てられた方が良いからね」

 おばちゃんはにこやかに返す。


「で、でしたら、お支払いしますんで」


 僕は即座に財布を取り出すが、「押し売りみたいになるじゃないかい」と、おばちゃんは何故か若干キレ気味にそう言った。


 個人経営の店であるだけ引きたくなかったものの、結局根負けして花を受け取ることになった。


「君みたいな優しそうな人に貰われて、花も喜んでいるよ」

 おばちゃんは満足気に笑う。


 いまだ罪悪感は残るものの、素の感情が表れている顔を見ると、これで良かったのかな、とも思い始めた。


「大切にします……!」


 僕は深くお辞儀をすると、その場を後にした。


 花を手で弄びながら街を歩く。

 頂いた花は、花弁が真っ赤に染まり、隅々にまで栄養が行き届いているようで大きく開いている。

 力強く感じられ、無意識に背筋が伸びていた。


 気付けば目前に大きな川が広がっていた。

 いつの間にか都会である紅原区を抜け、自然の多い藍河区まで辿り着いていたようだ。


 対岸で歩く人が小さく感じるほどに広い川だ。山から流れる清流や、河川敷に生える野草が、心地良い自然音を奏でている。


 橋の近くには「藍河稲荷神社」が見られた。真っ赤な鳥居が対岸からも確認でき、改めて敷地内の広大さが実感できた。

 気付けば目を瞑り、大きく深呼吸していた。

 

 幼少期に夏祭りで何度かこの地に訪れたことがあるが、改めて居心地が良いと感じる。

 建物が密集していなければ、人が少ないわけでもない。ほどほどに活気で溢れ、都会でもなければ田舎でもない。

 周囲が山で囲まれていることから空気は洗練され、川で冷やされた風は新鮮だった。


 僕は下に降りて、川の近くまで寄る。

 上流から流れてきた水は、底の石が鮮明に確認できるほどに澄んでいた。

 

 手に持つ花の茎部分を川に浸す。少し触れた川の水は、ヒヤリと洗練された冷気を孕み、スッと身体に染み入った。

 心なしガーベラも先ほど以上にシャキンと花開いたように感じられた。


 そのまま茫然と川を眺めていたが、そういえば昨日、庵次と話していた公民館は、確かこの区間に位置していたなと思い出す。


 星が見られるだけにもう少し山の方になるだろうが、ここまで自然が豊かな環境はさぞ空も広く見えるだろうとは感じられる。


 そこでふと、重要なことに気が付く。


「僕、庵次くんの連絡先、知らないよな……」


 昨日までは彼が病院まで直接訪れていたが、すでに退院している。

 それにスマホも壊れているので、僕自身、連絡を受けることができない。


 今日は金曜日で、出発予定日が明日にも関わらず、肝心の本人と気軽にコンタクトを取る術が断たれていることに今更気付いた。


 僕は額を抑える。

 このことは庵次も気付いているのだろうか。いや、流れで決まっただけに彼がそこまで考えているとも思えない。


 無視することも可能だったが、何となく彼を裏切る形になるのは気が引けたので、無い知識を捻って絞り出す。


「学校か……」


 唯一、見当がつくのは、彼の着用していた制服から判明している「紫野学園高校」だ。


 とはいえ今は夕時で、すでに放課後時間に入っている。部活動をしていないと言っていただけに帰宅している方が可能性が高い。

 それに、花を所持して学校前で待つ行動も、周囲の目が気になるので気が進まなかった。


「どうしようかな……」


 地元が同じであるので、外を歩いていれば会えるだろうか。


 僕はハンカチに川の水をたっぷり含み、花の茎部分にあてがうと、川を後にした。

 

 地元の紅原区に戻ってきた頃には、すっかり日は沈んでいた。


 僕は一旦自宅に戻ると、適当なコップに水を張り、ガーベラを生けた。

 川よりもぬるい水ではあるが、少しでも花の命が延びることを祈り、再び外に出る。


 自宅から徒歩県内にあるスーパー「アカハラ」に辿り着く。

 激安で有名であることから、仕事帰りの会社員や保育園のお迎え帰りの主婦たちで溢れていた。

 カゴを手に取り、入店した。


 作り方もわからないが、何となくコロッケを作ろう、と考え、商品の選別を始める。

 材料を調べようとしたが、そこでスマホがないと気付く。いまだ慣れないものだ。

 仕方がないので、よくコンビニで購入するコロッケを思い出しながらカゴに放り込んでいく。


 じゃがいも、ひき肉、パン粉、と選別を終えた時、店内の奥から「了解っす!」と威勢の良い声が聞こえる。

 聞き覚えのある特徴的な声であるだけ、思わず顔を向けていた。


 目先には、見覚えのある赤髪のツンツンしたヘアスタイルの青年、庵次がいた。

 その身には青いエプロンをつけ、せっせと段ボール箱を積み上げている。


 まるで彼が、このスーパーの店員のように見えた。


「あれ、ササキさんじゃないっすか」


 呆気に取られていると、庵次はこちらに気付き、八重歯を見せながら手を挙げた。


「もしかして、ここでバイトを?」


「ハイ! ササキさんにアルバイトをオススメしていただいたんで、早速始めました」


「それにしても早くない?」

 話をしていたのは一昨日のはずだ。


「善は急げってやつっすよ!」

 庵次は胸を張り、得意気に答える。


 彼は動きが素早いが、行動に移すことも素早いものだ。


「あ、でも明日明後日はバッチリ開けてますよ!宿もレンタカーも予約あっさり取れましたし」


「君が予約してくれたの?」


「ハイ。でも俺、高校生ですし、ササキさんの名前、お借りしました」

 そう言って舌を出す。


「それよりも、こうやって偶然会えたから良かったけど、僕、君の連絡先知らないしスマホも壊れてるし、どうやって連絡取るつもりだったの?」


 そう尋ねると、庵次はポカンと口を開ける。


「そういえばそうでしたね」


「やっぱり忘れてたんだ」

 僕は苦笑する。


 準備はきちんと行うものの肝心なところが抜けている。

 しっかりしているのかしていないのかわからない。


「でもこうして会えてますし、別に良いじゃないっすか。出会えた奇跡に感謝ってやつっす」

 庵次はどこか誇らし気に言った。


「ササキさんは晩メシ買いに来たんすか?」


 そう言って庵次は僕のカゴを覗く。「ジャガイモひき肉パン粉って、コロッケでも作るんすか?」


「よくわかったね」僕は軽く目を見開く。


「俺もほぼ一人暮らしみたいな環境なんで、たまに自炊するんすよ。でもコロッケってまた手間なもの作られるんすね」


「コロッケって手間なの?」


 素朴に問うと、庵次は驚愕したような顔でこちらを見る。


「コロッケなんて、面倒くさい料理ナンバーワンで有名じゃないっすか! あれ? ササキさん実家でしたっけ?」


「いや、一人暮らしだけど……まともに料理したことなくて……」


 正直に打ち明けると、「社会人ってやっぱ余裕があるんすね」と庵次は納得したように頷く。


 何だかいたたまれなくなり、「庵次くんは普段、何作っているの?」と話題を逸らす。


「シャレたものは作れないんで、肉適当に炒めて白米と食うことが多いっすね。正直焼肉のタレあればいくらでもメシ食えるっす」


「肉も良いなぁ」

 

 コロッケは面倒だと知ったことで、すでに気分が変わりつつあった。


「おい楽斗原! 何喋ってんのさ」

 先輩バイトであろう人が怒鳴る。


「すんません!」

 そう言って庵次は作業に戻った。


「ガクトバラ……」


 そういえば彼の苗字を初めて聞いた。

 どこかで聞いたことがある気がして妙に引っかかった。


 とはいえ、半日動いていたことからお腹が鳴っている。

 僕は結局、焼肉用のお肉とサラダ菜、焼肉のタレと米を購入してスーパーを後にした。

 


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