• 成瀬 紫苑

「綱渡りの一週間」1日目:病室

僕の自殺を止めたのは、無邪気な顔で笑う見知らぬ高校生だった。



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【1日目:病室】


 窓の外からチュンチュンと声が届き、眩しい太陽が室内を照らす。

 自宅とは違う白くて清潔なふとんから新品の香りが鼻孔を擽る。今日は花粉が少ないのか、開いた窓からは爽やかな風がゆるやかに吹く。

 平和でのどかな朝だった。


「続いてのニュースです。指定暴力団である楽斗原組傘下である男性が、拳銃のようなもので打たれて怪我を負ったと発表がありました。対立状態である為、市民の安全に不安が————」


「こわ~……」

 

 僕は前方に設置されているテレビを見ながら呟く。

 脳の活動も休止しているのか、目から入る情報をありのままに受け止めていた。


 コンコンとノック音が響き、ドアが開かれる。


「佐々木さん、体調はどうですか?」


 清潔感漂うエプロンを身に纏う看護師さんは、手に持つトレーを僕の目前の机に置く。

 香ばしい味噌の香りが立ち込み、お腹がぐるりと鳴った。


「まだ腕は痛みますが、大丈夫です」

 そう答えながら包帯で巻かれた腕を擦る。


「よかった。さすが若いわね」


 お姉さんも負けてられないわね、と看護師さんは軽くウインクする。

 厚いベースメイクに濃いリップからも、失礼ながらも外見以上の貫禄は感じられたことから言葉に詰まる。

 愛想笑いするほどの余裕は、まだ生まれていない。


 そんな僕は気にせず、看護師さんは上機嫌に鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。

 僕は小さく溜息を吐く。


「何で、生きてるんだろう……」


 思わず言葉が漏れた。


 昨日、僕は確かに人生を終らせようと考えていたはずだ。


 自ら線路に入った感覚も、あの場で感じた音も声も香りも鮮明に蘇る。

 恐怖はなかった。むしろ今、抱えている苦しみから解放されるのだと楽しみでもあったのだ。

 背中に何かが接触する感覚もあった。それにより身体が重力に逆らい、浮遊感も襲った。

 何もかも、はっきりと覚えている。


 だが今、僕は生きている。

 何故かわからないが、生きてしまっていたんだ。


 再びノック音が響き、「佐々木さん。来客です」と看護師さんが顔を覗かせる。


「来客?」


「あなたをここまで連れて来てくれた人よ」


 誰のことか見当がつかずに口を開けていると、「目覚めたっすか?」と看護師さんの背中から青年が顔を覗かせる。

 彼は看護師さんに親し気に手を振ると、僕のいるベッドまで近寄る。


 赤髪のツンツンしたヘアスタイルで、八重歯の覗く幼い顔。黒ベースに金の龍の映える奇抜なスカジャンや、百七十センチにも満たないだろう背丈からも、「青年」と呼ぶよりも「少年」の印象を受けた。

 

 確実に知り合いではないだけ、僕は首を傾げる。


「ササキさん、っすよね。体調どうっすか?腕のケガも、結構血、出てたみたいっすけど、まだ痛みます?一応俺、加減はしたつもりだったんすけど、何せあの短時間だったんで、さすがの俺でもそこまで気が回らなかったと言いますか。まぁアスファルトでしたし、仕方ないとは思うんすけど」


 怒涛の勢いで話し始められたことで、呆気に取られる。

 だが、赤髪の青年は僕を気にせず「あ、そうそう」と言葉を続ける。


「それに足も関節外れてたんで適当にはめました。とはいえシロウトなんで、後からもう一度見てもらった方が良いかも……」


「ちょっと待って」


 僕はやっとのことで口を挟める。「えっと、君がここまで病院に運んでくれたってこと……?」


 そう問うと、「あ、そういえば気、失ってましたね」と赤髪の青年は八重歯を見せて頭を掻く。


「ササキさんが線路の中に立っているのに気付いたんで、俺がササキさんを線路から避けたんすよ。電車も来てましたし、時間もなかったんで結構乱暴になっちゃったと言いますか」


「乱暴に?」


「何て説明したら言いんすかね」

 赤髪の青年は、やりずらそうに顎に手を当てる。


 その瞬間、「線路で自殺を試みた青年を助ける少年に称賛の声」とテレビから届く。

 つられるように僕と赤髪の青年は顔を向ける。


「あ、ちょうどいいところっす」と赤髪の青年は言う。


「昨日の午後六時、虹ノ宮市内の線路内に立ち入った青年を、間一髪少年が救うといった奇跡が起こりました。その場にいた人たちによると、線路に立ち入った青年は、『自ら中に入ったように見えた』との声が上がり、自殺を図っていたのではと考えられます」


 一瞬、他人事だと聞き流しそうになるものの、画面に見覚えのある光景が映し出されたことで我に返る。


 テレビには、線路内に立つ僕が映っていた。モザイク処理が施されているものの顔は下に向き、周囲の声にも全く反応していない。

 このニュースが僕のことだとわかった瞬間、あの時には訪れなかった羞恥心がドッと襲った。


「電車の迫ってくる中、とある少年が間一髪、青年を足で線路から遠ざけて助けたとのことです。青年は軽い怪我のみで大事には至らず、病院に搬送されました」


 電車のブレーキ音が大きく鳴った瞬間、疾風の如く飛び出した何かが僕の背中を撃ち、身体が宙に投げ出される場面が流れる。

 誰もいなくなった線路上を、一秒も経たないうちに電車が通り過ぎた。


 あまりにも素早く、何が起こっているのかがわからなかった。

 

「まるで『弾丸』のように、目にも止まらぬ速さで青年を助けた少年はなんと無傷のようです。少年は事情聴取の為に、すぐに現場から離れた為、何者なのか判明しておりませんが、一人の尊い命を救ったことで称賛の声が送られています」


「俺、一応、高校生なんすけど、でもまぁ、法律的には『少年』になるのかぁ」

 

 隣に立つ赤髪の青年が、間延びした声を上げる。

 僕は無言で彼を見る。


「えっと……」


「つまり、これが俺っすね」

 

 そう言って赤髪の青年は、画面で僕の身体を跳ね上げた何かを指差す。


「間に合わないって思ったんで、足でこう、ちょっと」と青年は足をくいっと動かす。


 あまりにも淡々と語られる告白に、僕は顔が強張る。

 だが、徐々に現状を受け入れつつあり、脳が回り始めた。


 つまり、あの時襲った浮遊感は、赤髪の青年が足で僕を蹴り上げたから、ということだろう。

 そのお陰で、僕は電車に轢かれることもなく、間一髪、命が助かった。


 いや、助かったって何だ。

 僕は死ぬつもりだったんだぞ。


「しかし、この映像撮ってる人は趣味が悪いっすね。何もなかったからよかったものの、こればっちり映っちゃってますし……」


 そう呟きながら、青年はリモコンでチャンネルを変える。

 テレビ画面から「今日の運勢は~」と流れたことで、血の気が引いた。


「あぁあ、やばいやばい仕事が……!!」

 慌ててスマホを探すも見当たらない。


 毎朝、この占いを見た後に出勤していたんだ。

 職場に休む連絡もしていない。何なら今、ここがどこだかわからない。

 

 何から対処すべきか混乱していると、赤髪の青年が「あ、もしかしてこれっすか?」と軽く問う。

 彼が掲げているものを見て、僕は目を見張る。


「昨日、壊れちゃったみたいっすね。もう電源つかないっす」


 赤髪の青年は、僕のスマホを所持していた。

 だが液晶はバキバキに割れ、所々内部の機械部分が覗いている。もちろん電源ボタンを押されたところで反応はせず、暗い画面のままだ。

 僕の顔は更に青ざめる。


「あぁ……どうしよう……!連絡しないとあの人が……」


「職場っすか? 俺が適当に言っておいたんで大丈夫っすよ」


「はい?」

 僕は勢いよく青年を見る。


「ササキさんが事故に巻き込まれて、一週間入院することになったって」そう言って、赤髪の青年は僕を指差す。


「そ、そんな簡単にあの人が許すとも思えないんだけど……」


 遅刻はもちろんのこと、体調不良は気のせいだ、と高熱が出ているにも関わらずに出勤させた人だ。

 骨折も捻挫だと言って欠勤を認めない、いや、休めたとしても次出勤したところで嫌がらせを受けるだけだ。


 だが、赤髪の青年は「そんなことないっすよ」と笑顔で続ける。


「俺が怪我させたって言ったらあっさり許可くれました。入院期間は三日って言ってましたけど、でも一週間は休めます」


 何の根拠もない言葉だが、どこか気が抜けたのか、僕は大きく溜息を吐く。

 背中の枕に身体が沈む感覚が襲った。


「何で、助けたんだよ……」


 思わず口から出てた。

 赤髪の青年は、特に動じず僕を見る。

 

「テレビでも言われているように、僕は自分から線路に入ったんだ……なのにどうして邪魔したんだ……!」

 

 現状を受け入れ始めたことで、徐々に感情を取り戻していた。


 感謝の気持ちだなんて、一ミリも抱いていない。

 本当は今頃、全てから解放されて楽になれていたはずなんだ。

 今だって、率先して職場の心配をしていることから、もはやこれは習慣になってしまってたんだ。だからこそ、実力行使で断ち切ろうと思っていた。


 それなのに、どこの誰かもわからない高校生のせいで、生き延びる羽目になってしまったんだから。


 赤髪の青年は、暫し思案するように腕を組む。


「死ぬのは、一週間後でも良いんじゃないっすか」


 思わぬ問いかけに、僕は目が丸くなる。


「せっかくこの一週間、仕事が休めるんですから、ウマい飯食うなり旅に行くなりしてみたらどうです?元々死ぬつもりだったんでしょうし、お金を気にすることもないっすよね」


 赤髪の青年は、至極当然のように言う。

 僕の顔は曇る。


「あぁ、別に考えを改めさせようだなんてキレイごとでもありません。でも人間、案外死ぬ気になれば、何でもできるものなんです」 


「君に、何がわかるんだよ……」


 できるだけ震えを抑え込んで言う。 

 外見からも、恐らく僕より一回りも下の高校生が相手だからこそ、意地になっていたのかもしれない。

 まだ高校生である青年に、正常な判断が行えなくなるほどに汚れた社会がわかるわけもないだろう。


「ここ数年のストレスが積み重なった結果が昨日の行動なんだ。たかが一週間生きたくらいで、変わるわけないだろ……!」


「だったらその時は、俺がやりますよ」


 一瞬、息が止まった。

 無意識に赤髪の青年に顔を向けると、鋭い目つきで僕を見ていた。


 大脳で処理される前に、反射的に身体が反応する。「こいつは危ないぞ」と脳に危険信号を伝えていた。

 今までの軽い空気とは正反対の威圧を感じたからだろう。

 

 それだけ僕は、蛇に睨まれた蛙の如く硬直してしまっていた。


「一週間後でも死にたいって思ったら、その時は俺が責任取ってササキさんを眠らせてあげます。電車への飛び込みなんて、お金もかかれば周囲にもトラウマを与えかねない死に方なんで相応しくないです。ニュースにもならなくて、一瞬で、静かに死ぬ方法なんていくらでもありますんで」


 赤髪の青年は淡々と述べる。

 冷静であるからこそ、彼が経験してきたかのような錯覚に陥っていた。


 ただの言葉だ。

 だが、嫌に重みが感じられることが聞き逃せなかった。


 返答に戸惑っていたが、赤髪の青年は表情を一変させて八重歯を見せる。


「それに一応俺ら、共通点はあるんすよ」


「共通点?」


「苗字が漢字三文字なところ」赤髪の青年は得意気に笑う。


「苗字三文字だと、テストの時とか名前書く時大変じゃないですか?特に俺、名前の方が結構画数多いんで、俺が名前書き終わるまでに周りの人はどんどんテストを進めていきますし。ただでさえ俺、全然頭良くないのに、それだけで時間オーバーしてしまうと言うか。あんまり学校行けてない俺でもそう感じたんで、真面目そうに見える佐々木さんなんてタイヘンだったでしょ。もはや三文字の名字ってだけで小さな苦しみをわかちあえる仲間っす」

 

 赤髪の青年は、再び弾丸のように話し始める。

 彼とは確実に今、出会ったばかりだ。こんなにお喋りな人間、知り合いにいたら記憶の片隅にでも残るはず。 

 それにしても、赤の他人に臆することなく話すものだ。


 この青年は一体、何者なんだ。


 だが僕の思考とは裏腹に、赤髪の青年は立ち上がる。


「ま、そういうわけなんで、とりあえず三日はここで休んでください。また来ます」


 じゃ、と手を上げた瞬間「待って!」と咄嗟に呼び止めていた。


 赤髪の青年は、首を傾げて僕を見る。


 尋ねたいことが多すぎる。

 だが先ほど感じた威圧感からも、下手な言葉は口にできなかった。


「き、君…………名前は……?」


 そう尋ねると、赤髪の青年は天井を見上げて思案する。


「小屋を意味する『庵』に、次の『次』で『庵次(アンジ)』っす」


 そう呟くと、彼は部屋を出ていった。

 僕は、ただ目をぱちぱちさせていた。


「どうせなら、共通点である苗字が知りたかったな……」


 壊れたスマホを手に取る。液晶はバキバキに割れ、ボタンを押してもやはり電源は付かない。

 昨日、死んでいたら、こんな心配なんて消えていたんだ、と思うと、再び溜息が漏れた。


 やっとのことで、朝食に手を付け始める。

 みそ汁はすっかり冷え、僅かに気を落とした。



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