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  • 執筆者の写真成瀬 紫苑

「綱渡りの一週間」0日目:踏切

僕の自殺を止めたのは、無邪気な顔で笑う見知らぬ高校生だった。



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【0日目:踏切】


 カンカンカンと激しく踏切音が響く。赤いランプも点滅を始め、遅れて黄と黒の立入禁止を示す遮断桿が降りる。

 昨夜大雨だったことから、道床に敷き詰められたバラストからは、湿気の孕んだ土臭い香りが舞った。

 周囲の人たちは、鬱陶しそうに顔を歪めながらも静止する。僕も自然と足が止まっていた。


 しかし、そこでふと思う。

 五感で「警告」が感じられ、これだけわかりやすく「危険」だと示されているんだ。


 一瞬で、全てから解放されるには、これほど楽な方法はない。


 そう判断した瞬間、僕の足は勝手に動いていた。

 視界の端でこちらを見る人の顔が写るが、特に気にならない。

 目立つことが苦手なのに、身体が麻痺しているのか何の感情も生まれなかった。


 まるで快楽を求める薬物中毒者のようだ。

 ただ立っているだけで、苦しみが消え去るのだから。

 

 線路の中央で足が止まった。

 警笛と人の声が徐々に大きく鳴るが、刹那的にフッと静かになる。

 周囲の光景がぼやけ、スローモーションのように時間が流れ始めた。

 

 これが走馬灯というものだろうか。

 だが、目前に写る映像は、思い返したくもないものばかりだ。

 最後まで大したことのない人生だった。

 だから僕は、何ひとつ後悔なんて————


「嘘ね」


 突如、リンッと心地良い鈴の音が鳴る。その音に引き寄せられるように顔を上げた。


 僕の対面には、赤髪の少女が立っていた。

 手には分厚いハードカバー本を携え、無機質な表情をしている。

 幼い体躯ながら、凛と背筋を伸ばして佇んでいた。


 だが、瞬きをした瞬間、少女は姿を消した。

 代わりに、音量のボリュームレバーが瞬時に回されたかのように音が戻る。

 けたたましいブレーキ音に焦燥感の混じる人の声で、鼓膜がビリビリと震えた。


 背中に衝撃が走る。それと同時に地面から足が離れ、不安定な浮遊感が訪れた。


 あ、いよいよだ、と思った瞬間、重力により落下する感覚が襲う。

 硬くてごつごつした地面で、肌が摩擦で擦れる。


 痛い、と感じるが、そこであれ?と思う。


 まだ、「痛い」と思える感覚がある。


 後方から、ギギーッと急ブレーキのかかる音が届く。

 恐る恐る目を開けると、湿った暗い灰色のアスファルトに、複数の靴が目に入った。


 何が起こったかわからず呆気に取られていると、耳元で足音が止まった。

 

「すんません。ちょっと乱暴します」


 特徴のある声が届いたと同時に、ふっと視界が暗くなった。



『綱渡りの一週間』



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