成瀬 紫苑
「晴れのち稲妻、時々虹。」Day3「台風、のちに虹」
僕はただ浮かんでいただけで、海底がどのような状態なのか気付いていなかった。
【Day3「台風、のちに虹」】
制服も衣替えに入り、ブレザーを押し入れから引っ張り出す。数ヶ月しまっていたことから、少し埃っぽい香りが舞った。
気候は穏やかな日々が続き、ラウンジから見える木も赤く染まっている。
空は秋晴れが続き、まさに〇〇の秋、と呼ばれるほどには行動しやすい時期となっていた。
二学期に入り、体育祭や文化祭で皆、慌ただしい日々を送っていた。
僕も例外じゃない。クラスでの出し物で、放課後の時間を割いて準備をしたり、寮内で集まることも増えている。
だからこそ、皆で集まる機会がほぼなくなっていた。
今日も一日が終わり、ベッドに倒れ込む。
今は文化祭の準備で、ほぼ毎日、寮則である夜二十二時まで集まっていた。
寮生活であるだけ、下手な言いわけで逃げることもできず、また夜まで準備ができてしまうものだ。
忙しないだけ気は紛れる。
だが、ふとした時に沙那のことを考えていた。
「今頃二人も、準備で会ってるのかな……」
いや、そんな口実がなくても会っていることは頭ではわかってる。
だがやはり、認めたくないと思っているところがあるのだろう。
僕は寝返りを打ち、目を閉じる。
進展は特に望んでいなかったが、直樹との関係を考えるとモヤモヤする。
直樹は美子のことを想っている。それはほぼ周知の事実で、沙那自身もわかっているはずだ。
それでも彼女は、例え遊びの関係でも、直樹と繋がりたいと考えているんだ。
直樹の言うように互いが同意の上であり、かつ二人には恋人はいない。別に問題はないはずだ。
直樹が昔から女の子が好きなことも、軽い人間だってことも知っていた。
でもその相手が沙那だとわかった瞬間、自分の中でドロドロとした黒い感情が湧き上がる。
これが恐らく、以前直樹に指摘されたものに該当するだけ癪だった。
気分が悪い。沸々と怒りは湧き上がるものの、感情の処理の仕方がわからなかった。
洗面台で顔を洗おうと部屋を出た。
洗面台に向かう途中、女子洗面台から沙那が出てくる。
その足は、方角的にも直樹の部屋に向かっているとすぐに理解した。
「さ、沙那……!」
気づけば僕は、彼女の腕を引っ張っていた。
「奏多くん?」
沙那は目を見開いて振り返る。
思わず掴んでしまったものの、僕とは明らかに違う、きめの細かな透き通った肌だと感じられて我に返る。
彼女に触れるのが初めてなだけに、一気に身体が熱くなった。
僕は慌てて手を離す。
「えっと……どうかした?」
沙那は少し困惑気味に首を傾げる。
僕は頭を捻り、口を開く。
「ひ、久しぶりだなって思って…………最近、元気?」
主婦のような世間話しかできない自分が情けなくなる。口説くつもりはないものの、直樹のように話術が長けている人が羨ましい。
僕の言葉に、沙那はふふっと目を細める。
「奏多くんは相変わらず、だね。元気だよ」
そう言うと、沙那は歩き始める。
「直樹の部屋に、行くの……?」
そう尋ねた瞬間、沙那は肩をびくりと震わせた。
「何で…………」
「前に直樹から聞いて、さ……」
言葉が受け入れられないのか、沙那は顔を伏せて黙り込む。
思わず口から飛び出たものの、僕もどう言葉を続けるか迷った。
沈黙が流れる。
皆、室内で休んでいる時間なだけに、ラウンジにかかる時計の針の音が、廊下に虚しく響いていた。
「……じゃあさ、奏多くんの部屋は?」
「僕の部屋?」
突然の提案に目が丸くなる。
「奏多くんの部屋、行きたいな」
沙那は、目を細めて柔らかく笑う。
「で、でも、もう二十二時超えて……」
「寮則は、ほぼ合ってないようなものでしょ」
見回りなんてないしね、と沙那はあっさりと答える。まるで普段からルールの穴を突いてきたかのような口ぶりだ。
普段の彼女とは雰囲気が違うだけ戸惑っていた。
だが、僕にも好きな子の前では格好つけたい、というプライドがあっただけに、表に出さないように耐える。
「うん……何もないけど」
そう言うと、僕の部屋に向かった。
***
「相変わらず、シンプルな部屋だね」
僕の室内に入った沙那は、ふふっと笑う。
「スマホがあれば問題ないしね……」
僕は弁解をしながら、座布団を差し出す。
沙那は床に礼儀正しく座る。僕はベッドサイドに腰掛けた。
何を口にするか迷っていた。
沙那に目を向けると、彼女は僅かに笑みを浮かべながら床を見ていた。
幼馴染である僕の前だからなのか、余裕が感じられてどこか悔しくなる。
「何でさ、直樹の部屋に行くの?」
耐えきれずに切り出していた。
構えていたのか、沙那は特に表情を変えない。
「私、今でも直樹のことが好きだから」
「今でもってことは、やっぱり昔、付き合ってたんだ」
「うん、そうだよ」
沙那は力なく笑う。
彼女が直樹だけ呼び捨てである理由だ。
祐介が「鍵」として挙げていた項目なだけに、何か具体的な根拠が存在していると思っていた。
覚悟していただけ悲しくはない。
だが、やはり直接言葉として耳に届くと、胸に刺さった。
「でも、直樹は美子ちゃんのことが好きだって、沙那も知っているんじゃ……」
悔しくて意地悪な言い方になる。
沙那は目を落とすが、やがて静かに笑った。
「本気なわけ、ないじゃん」
「え?」
「直樹が誰かに本気になるわけないよ」
そう言うと、沙那は僕に顔を向ける。
翡翠色の目は穢れなく、ビー玉のように透き通っている。
だが、瞳の奥までは光を宿していなかった。
「直樹や萌ちゃんたち松尾家は、昔から転勤が多かったよね」
「それは、確かに……」
直樹が三年生の時、僕たちの地元に家を建てるまで五回転校したとは聞いていた。この寮に入ることになった理由も、親の転勤が理由だった。
「仲良くなっても、すぐに別れる繰り返しだったって。それに気付いたから直樹は特別を作らないって決めたんだと思う。付き合う前に直樹から聞いたことだし、実際付き合ってからも変わらなかった」
沙那は寂しそうに笑う。「それは萌ちゃんと同じなんだと思う」
「萌さんも?」
「知らない? 萌ちゃんも彼氏はいないけど、不特定多数はいるんだよ。それにバイトだって……」
そこまで言って沙那は言葉を伏せる。明らかに失言したと言った空気が漂っていた。
一応、バイトは寮則で禁止になっているが、会話の流れからもその内容がどんなものであるのか察せてしまうものだ。
箱の中に入ってしまったら抜け出す時に辛くなる。やから俺も姉貴も上部だけで付き合ってたんや。
以前直樹が言っていた言葉が脳内に反響する。
確かに萌は化粧は濃く、明るい地毛からも「ギャル」と呼べる派手な外見ではあるが、面倒見が良いだけ、直樹とは違うと思っていた。
「だから瑛一郎くんには応えられないって言ってたな……。瑛一郎くんがあまりにもまっすぐ萌ちゃんのことを想うから、軽い気持ちで向き合えないって。感情が絡むところが、女の複雑なところなんだよね」
そう言うと、沙那は自身を労わるように腕を添える。
「でも、男の子は違う。少なくとも直樹は、例え本気な女の子を前にしても、その相手に全く好意がなくっても、身体だけは満たしてくれる」
突然の告白に言葉を失う。
沙那は、どこか思いに浸るように目を伏せていた。
「本命じゃなくたって、直樹は連絡したら、いつでも構ってくれるんだ。少なくとも一緒にいる瞬間は、直樹の頭の中は私で満たされているはずだし、そんな関係でもいいなって思ってしまったんだ。その瞬間だけは私も幸せを感じられるんだから……」
直樹と一緒にいる時を思い出しているのか、沙那はこの場所でない遠くを見ていた。
僕は、ただただ唖然としていた。
どんな形でも良いからそばにいたい。
例え一番になれなくても繋がっていたい。
醜い形でもあろうとも、相手と一緒にいられるならば、それを望んでしまう。
それほどまでに、恋愛というのは感情を歪めてしまうものなんだ。
少なくとも、今の沙那からは、普段感じられる純度は全く感じられなかった。
だが、何故なのか。
彼女が望んでいる道であるはずなのに、僕は普段のように見守ることができなかった。
好きな人だから独占したいという感情が沸いているのか。直樹に嫉妬しているのか。
もちろん、ないとは言えない。
だがそれは、観測者の望まない「雨の顔」だからなんだと、彼女の顔を見て思った。
「じゃあさ、何でそんなに辛そうな顔をしているの?」
僕は、顔を強張らせながら尋ねる。
「満足しているなら普通、そんな寂しそうな顔しないよ」
その瞬間、沙那の顔から笑顔が消えた。
「……やっぱり、奏多くんにはわかっちゃうんだね…………」
そう言うと、沙那は静かに目を閉じる。
「直樹にとって遊びである私が本命に上がることはないってわかってる。一番と二番の間に絶対的な差があることも、例え本命と結ばれなくても、遊びの人間が本命に上がれることはないことも」
「男の子は新規保存、女の子は上書き保存って言うもんね」
僕は感情を殺して答える。
「女の子は常にその人のことだけを考えているし、順位が入れ替わることも普通にあるんだけどさ」
萌ちゃんは割り切ってるけど、と沙那は付け足す。
「男の子って……ってこうして括りにするのはダメだね。少なくとも直樹は、別に好きでもない女の子でもそういうことだってできる。女の子の方は、感情全部持っていかれるのに。それでもお互い満たされるんだから良いやって思ったの。……だけど、やっぱり違った」
そう言うと、沙那は目を細めて天井を見上げる。
「終わった後ってすごく虚しくなるの……。直樹からは感情が感じられないんだもん。肌で直樹のことは感じられても、心までは響かない。上部だけの関係なんだよ。それに直樹の中には美子ちゃんがいるんだなって考えると、ふと悲しくなるんだ」
「さっき直樹は本気にしてないって言ってたよね?」
矛盾を感じて問いかける。
「それが、本気の言葉だと思うの?」
沙那が揶揄うように笑う。
「好きな人の顔の変化は誰よりもわかるよ。だって、ずっと相手のことを見ているんだから。祐介くんには到底敵わないって直樹は自棄になってるけど、それでも直樹が美子ちゃんを見る目が明らかに違うってことくらい……すぐにわかるよ」
————美子ちゃんのことは好きやけど、でも無理ってわかってるしな。敵わん相手ずっと追いかけるほど、俺も気力がない。全部が全部、遊び
祐介と美子が血が繋がっていないと知っていたから、直樹は到底敵うわけないと自棄になっていた。
でも、それならあの時、僕を部屋に呼んだ理由がわからない。彼は僕に付き合う理由を示したかったはずだ。
それこそ、自分が望んでいることだと気付かずに。
「心は満たされなくても、それでも結局、会いに行ってしまうんだけどさ」
そう言うと、沙那は目を閉じて大きく息を吐いた。
頭では敵わないってわかってても、感情は収められない。
どんな形であれ、相手のことを想ってしまう。
それは直樹も沙那も、そして僕だって同じなんだ。
「だったら僕が……沙那の心を満たすよ」
気付けば口に出ていた。
沙那が、目を丸くして僕を見る。
「沙那の心が満たされないなら、僕が沙那を受け入れるし、沙那の全てを許すよ。だからもう寂しそうな顔、してほしくない」
こんなくさい言葉がスラスラと言葉にできる自分自身に内心驚いていた。
でも羞恥心を感じないだけ、これが僕の本心なのだとはわかる。
僕は、嘘を吐くのが下手だからだ。
沙那が僕をじっと見つめるが、次第に表情を崩す。
「奏多くんは大人だね」
「あまり、年下を揶揄わないで」
僕は引き攣った顔で答える。
「本当、奏多くんは誰よりも大人だよ。そして、誰よりもきれい」
そう言うと、沙那は清廉なボブヘアをかき上げる。
「そうだね……誰か一人でも甘やかしてくれる人がいるなら、もっと幸せになれるのかもしれない。奏多くんみたいに人の幸せを願える人なんて早々いないし、奏多くんだったら、私の心も満たされるのかも」
正直、沙那を傷つける直樹は許せないし、そんな直樹に依存している沙那にも腹が立つ。
全部全部、感情を弄ばれていたような感覚で不愉快だ。
だけど、それでも相手を想ってしまう気持ちがわかるだけに仕方ないんだろうとも思う。
そうでもしなければ、自分の感情に収拾がつかないものだ。
「沙那は、美子ちゃんのこと憎いって思ったりする?」
ふと気になって問いかける。
沙那は不意打ちを食らった顔をするも、すぐに首を横に振った。
「ううん。美子ちゃんは大好きだよ」
「やっぱり純粋じゃないか」
僕は眉を下げて言う。
しかし沙那は、柔らかく笑みを浮かべたまま、人差し指を頬に当てる。
「だって、美子ちゃんには祐介くんがいるんだし、直樹と美子ちゃんが結ばれることなんて絶対ありえない。それは祐介くんが私にも言ってくれたことだしね」
「祐介くんが?」
そう尋ねるも、すぐにあっと見当がついた。
彼が僕のことを応援できないと言っていた理由だ。
僕のことを応援すると、沙那と結ばれることを願うことになり、結果、直樹が美子を想ったままになる。
だから祐介は、沙那のことを応援していたし、彼女と直樹が結ばれることを望んでいた。
美子の邪魔者がいなくなるために。
「祐介くん結構モテるのに、それでも美子ちゃんにしか関心がないし、美子ちゃんだって祐介くんのことしか見えてない。二人の仲を裂くだなんてできるわけがない。だから直樹が美子ちゃんと上手くいくわけないんだよ」
「だから嫉妬はしないって?」
そう言うと、沙那は舌を出して肩を竦めた。
僕は観念して頭を振る。
「もう、みーんな、真っ黒じゃないか……」
「きれいな人って奏多くんと瑛一郎くんくらいだよ」
沙那は眉を下げて微笑んだ。
僕だけが全然知らなかった皆の関係。それは傍観者であるだけ、自ら踏み込む勇気がなかったせいだ。
ただ海面に浮かんでいるだけで、潜ることはしなかった。だから沈下した汚れは目に入らず、澄んだ上澄みの部分しか見えていなかった。
本当は、こんなにも真っ黒だったと言うのに、僕はただ平然と海面で波に揺られていたんだ。
「でも、奏多くんは、私の全部を許してくれるんでしょ?」
沙那は挑戦するような目で僕を見る。
白く透き通った肌に、汚れの沈下した丸い瞳、キューティクルの輝く髪に魅了されていた。
もうこんなの、惚れた者負けじゃないか。
「……そうだね。僕はどんな沙那でも、許してしまうよ」
両手を上げながら降参すると、沙那はあははっと少女のように笑った。
その顔が、久しぶりに心からの笑顔だと感じられただけに、僕の心は満たされてしまった。
こんなにも単純なことで、コロッと簡単に騙されてしまう。
それだけ感情というものは、気まぐれなんだ。
***
「聞いてくれ。俺はついに渚ちゃんのプログラムを完全に攻略してやったんだ」
文化祭も済み、束の間の休息がやってきた頃。
僕の部屋のドアを開けながら、瑛一郎が癖のある声で言った。
彼の後ろから、直樹と沙那も顔を覗かせる。
「渚ちゃんのプログラム?」
僕は首を傾げる。
「前に、朝に哀ちゃんたちが運動してるの見たやろ。あれ意外とハードらしくて、瑛一郎が初めてやった時に断念したとかで、ずっとリベンジに燃えてたんやって」
直樹が興味なさそうに答える。
「でも、十分体力もついたから今朝リベンジしたら、無事にクリアできたんだって」
沙那はふふっと笑みを漏らしながら続ける。
「そうだ。俺はついに無念を晴らしたんだ。俺は確実にあの時より成長した」
その言葉を聞いた瞬間、顔が引き攣る。
後ろの二人も、諦めたように首を掻いていた。
瑛一郎は自分で成長したと感じられる時に、いつも行っていることがあった。
「っつーわけで、俺は萌さんの所まで行ってくる! 今日こそは良い報告できるだろうから、シャンパン準備して待ってろよ」
瑛一郎はそう言うと、じゃっと指を立ててこの場を去った。
残された僕と直樹、沙那は小さく息を吐く。
「あれ、今、瑛一郎どっか行った?」
唐突に響いた声に振り向くと、反対方向から萌が現れた。
「萌さん?」
「おう、久しぶり!」
萌は白い歯を見せて親指を立てる。相変わらず丈の短いスカートから健康的な四肢が伸びている。
サイドに括られた地毛であるべっ甲色の髪が、さらりと軽く揺れた。
「やっと色々落ち着いて来てな。やからあんたらにちょっと報告しようと思ってたんやけど、でも今、瑛一郎、どっか行ったよな?」
「あぁ、えっと……」
内容が内容なだけに言葉に詰まる。
「まぁおらんならむしろちょうどいいか。ってことでなんやけど」
そう言うと、萌は僕と沙那を交互に見る。
「うち、来年から北海道の大学、行くことなって」
「「北海道!?」」
僕と沙那の声が被った。
直樹は元々知っていたのか、特に驚いていない。
「うん。おじいちゃんの畑が向こうにあって、せっかくなら向こうの大学行って、それ利用しようかなって思ってな」
「北海道って、そんな遠いところ……」
沙那は信じられない、と声を震わせる。
「瑛一郎には……言ったんですか……?」
思わず言葉に出ていた。
直樹も沙那も顔を強張らせて僕を見る。
萌は、サイドに括られた髪の先を指で弄りながら下を向いた。
「まだやな……やから、どう言ったらいいかなってちょっと案、聞かせてほしくて」
ちょうど今、瑛一郎おらんのやし、と萌は力なく笑う。
だが、彼女の背後に人影が現れたことで、僕も直樹も沙那も思わず目を見開く。
僕は、感情が素直に表れるだけ萌も気づいたのだろう。
つられて彼女も振り返ると、そこには、ぽかんと口を開ける瑛一郎が立っていた。
「俺、今、寮長室行ったんすけどいなくて、直樹に部屋番号聞こうと戻ってきたら萌さんがいたんすけど……えっと、北海道って、どういう意味っすか?」
瑛一郎は、視線の定まらない調子で尋ねる。
突然の登場に、萌は唇を震わせていた。
僕も直樹も沙那も、どう対応すべきか悩み、それぞれ視線を逸らして咳払いする。
「えっと、そのままの意味で……うち、北海道の大学に受かったから…………」
萌は、瑛一郎の表情を窺いながら告白する。以前、沙那から明かされた萌の素顔からも、純粋に彼を思っての振る舞いだった。
現実が受け入れられないのか、瑛一郎は静止したまま動かない。
「おい、瑛一郎……生きてっか?」
直樹は、ひょいと瑛一郎の顔を覗き込む。
いまだ瑛一郎は立ち尽くすも、やがて口を開く。
それは、予想もしていなかった言葉だった。
「じゃあこれから、何度も北海道飛べるってわけっすね」
「え?」
その場にいる全員、同じ反応をしていた。
「いや、瑛一郎…………北海道やで?」
萌は、顔を引き攣らせて問う。
「俺、修学旅行で北海道飛んで、すんげ〜気に入ったんすよ! まず飛行機乗るだけで、アトラクション気分になれますし、しかも美味いものしかない。そんなんむしろ歓迎しますよ!」
瑛一郎は目を輝かせて答える。
あまりにも前向きな彼の言葉に、この場にいる皆、呆気に取られていた。
「ちょっとくらいの距離が何なんすか! むしろ今まで近い距離だっただけに、会った時の感動が倍増するってものですよ!」
「恋人の感動の再会みたいに言うなや」
直樹が苦笑しながらつっこむ。
「うるせぇ〜〜例え一方通行だろうが、少しくらい感動が生まれるはずだ。いんや俺が必ずそうしてみせる。俺が萌さんを想う気持ちは昔から変わらねぇんだからな」
瑛一郎が険しい顔で宣言する。
「馬鹿やな……ほんま瑛一郎って、馬鹿やな」
萌は観念したように力なく笑う。
心なしか、萌の目元がきらりと光った気がした。
「ってそれよりも萌さん大学合格したんすよね。お祝いしなきゃっすよ!」
「あっ、そうだった」
北海道という距離に気を取られていただけ、彼女が無事に進路を固めたお祝いを言えていなかった。
同じことを思ったのか、沙那も口に手を当て萌を見る。
「今夜は萌さんの合格祝いパーティーだ! っつーわけでまずは買い出しだな!」
そう言うと「ほら直樹、コンビニ行くぞ」と瑛一郎は直樹の肩を掴む。
直樹も頭を掻きながらも、渋々彼についていく。
その場に残された僕と沙那と萌は、二人の背中を呆然と見つめていた。
「瑛一郎って、台風みたいやな」
萌は静かに呟く。
「でも、退屈しないかも」
沙那は楽しそうに微笑む。
「確かにね、まぁ二人も暇なら、部屋で待ってようか」
そう言って僕は部屋のドアを開ける。恐らくパーティー会場は僕の部屋になるだろうことからの行動だ。
萌も沙那も、諦めたように室内に入った。
***
すっかり紅葉も落ち切り、防寒具の手放せない時期がやってくる。
秋からは怒涛のイベントが続くだけに、流れるように月日が過ぎる。傍観者である僕も、気付けば物語の一員となってしまうほどに忙しない日々が続いていた。
十二月に入ったことで、寮内もクリスマスムードに変わる。
月に一回ある大掃除のあった先週、寮生全員で、廊下やラウンジといった場所をトナカイやサンタ、赤や緑といったクリスマス色に染め上げていた。
「蓮、ついに今月か〜」
瑛一郎はラウンジ内にあるツリーの飾りを弄りながら呟く。
「一年は長いよね」
沙那も寂しそうに笑う。
哀の幼馴染である、風見 蓮(カザミ レン)が今月から一年間、留学に行くことになった。
彼は鼻筋が通り、切長の端麗な目元からも、祐介さんとはまた違ったかっこよさを兼ね備えた人だ。
無口であるだけ直接話す機会はあまりなかったものの、哀の想い人であるとは知っている。
「そういや瑛一郎、寮長に立候補したんやっけ」
直樹が思い出したように言う。
「おうよ。最後一年くらいは、おもしろいことやろう思ってな。それに萌さんが寮長やってたのに俺がしないわけにいかないだろ」
「どういう理屈なん」