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  • 成瀬 紫苑

「晴れのち稲妻、時々虹。」Day1「晴れ、時々雨」

僕はただ浮かんでいただけで、海底がどのような状態なのか気付いていなかった。



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【Day1「晴れ、時々雨」】


 春は嫌いだ。 

 数日限定の桜が散ってしまえば、芽生える新緑から淡い雰囲気は崩れ、もれなく毛虫も発生する。

 時折吹く強い春風は、防寒着を手放した無防備な身に染みる冷気を孕んでいる。

 何より環境の変化からも、浮ついた人の軽いテンションに絡まれるのが面倒だった。


 海に浮かんでいれば、転覆したり沖まで流されることがあるとは知りつつも、こうも毎日荒波が訪れるとさすがに疲労は募る。

 だからこそ、今日から始まる一人部屋の生活に、思いを馳せていた。

 


 すでに中学生棟から荷物の運び込みが終わり、自室内で休息を取っていた。

 この学校に入学して四年目、初めての個人部屋だ。


 元々物欲も趣味もないので致し方ないが、備え付けのデスクにベッド、テレビ、そして押し入れだけのおもしろ味の欠ける簡素な部屋に仕上がった。正直、スマホさえあればいくらでも暇は潰せるので問題もない。


 周囲の目を気にせずベッドの上で伸びていても、何も言われないことが新鮮に感じる。昨日までの相部屋とは違い、ルームメイトがいないことにソワソワするものだ。

 

 だが突如、バンッとドアが開かれたことで、僕は海面に打ち上げられた魚のように飛び跳ねる。


「お~奏多。どうよ、念願の一人部屋は」

 

 べっ甲色の髪に明るいヘアピンを着用している、松尾 直樹(マツオ ナオキ)は、関西の訛りのある陽気な声で言う。

 普段は意識的に標準語を使用しているようだが、幼馴染である僕の前では、もはや隠すことがない。


「のびのびできていいよ。……今までは」


「そんな露骨に嫌悪感出さんでもいいやん」


「僕って嘘吐けないんだ」


 小さく溜息を吐く。

 彼の登場により、「せめて一時間は何もしない時間を作る」という予定が崩れることになった。


「様子見に来ただけやって。年上の先輩としては当然のことやろ」


「新入生の女の子を見に来ただけでしょ」


「ついでにな」


 すでに五人と連絡先交換済み、と直樹はひらひらと手を振る。

 二年生である彼が、一年生の階に訪れた本来の理由はこちらだろうとはわかる。


「ってまぁ、俺だけじゃないんやけどな」


「俺だけじゃない?」僕の顔は曇る。


 誰を指しているのか粗方予測できただけに、嫌な予感しかしなかった。

 

 そしてその予感は、悲しくも的中することになる。


「今からパーティーだ!」


 勢いよくドアを開けた柳 瑛一郎(ヤナギ エイイチロウ)は、癖のある声で宣言する。

 両手にはパンパンに中身の詰まったビニール袋を携え、脇にはボードゲームを抱えていた。


 何かが起こるとは予期していたとはいえ、まさかの提案に目が点になる。


「って何、この素朴な部屋」


 エロ本はここか? と、瑛一郎はベッドの下を覗く。愛想笑いすらできないほどにベタベタなお決まり文句だ。

 呆気に取られていると、「ほんまシンプルな部屋やなぁ」と種類の違う声が届き、顔を上げる。


 瑛一郎に続き、二人の女性が室内に入ってきた。


「一年生の時ってこんなに部屋狭かったっけ?」


 バッチリ化粧を施し、惜しげもなく肌を露出した服を着用している松尾 萌(マツオ モエ)は、僕の部屋を見るなり声を上げる。

 関西特有の訛りや、サイドで束ねられている地毛であるべっ甲色の髪からも、直樹の姉だと実感できるものだ。


「女子の方が、部屋は大きいみたいだよ」


 蒼黒色のボブヘアの山城 沙那(ヤマシロ サナ)は朗らかに笑う。シフォン生地の部屋着に、猫モチーフのルームシューズが、彼女の可憐な雰囲気を醸し出していた。


 確かにうちの寮は、中学生までは相部屋、高校生からは個人部屋になるが、女子部屋且つ学年が上がるに連れ、部屋の大きさが変わる。受験勉強で自室の利用が増えることからの計らいらしい。

 今年三年生の萌と比べると、僕の部屋は豆ほどに感じられるのも仕方ない。


 だが、今はそんなこと、どうでもいい。


「待って。何か、当然のように皆集まってるけど、パーティーって何さ……」


 僕はやっとのことで問いかける。

 すると瑛一郎は、得意気な顔で両手を広げる。


「やっとみんな一人部屋デビューっつーことで、サプライズお祝いパーティーだ! 俺ら先輩たちが、奏多をお祝いしてやろうと思ってな」


「はい?」


 パーティー会場にアポなしサプライズほど迷惑なものはない。

 それに僕が一番年下ではあるものの、この学校に一番長くいるのは僕だ。

 引っ越しが終わったところなので、少しくらい休憩がしたいのだが。

 

 唖然としていたが、皆は自室のように床に腰を下ろす。

 至極当然のように行動するので「奏多、座布団ここか?」との問いにも「あ、うん」と順応してしまっていた。


「奮発して色々買ってきてやったんだぞ~」


 瑛一郎は手に持つ袋の中身を床に並べ始める。

 次々と取り出されるペットボトル飲料やお菓子類を茫然と眺めていた。


「あ、うち、このおかき好きやねん」

 萌は瑛一郎の取り出したチーズおかきを手にとる。


「ですよね! 萌さん昔からおかき好きですし、色々買ってきたんすよ」瑛一郎は目を輝かせて言う。


「アーモンド乗ってんのは邪道やろ」直樹はしれっと否定する。


「でもこれはおかき自体が辛めだから、アーモンドで中和される気がする」

 沙那はふふっと笑いながら言う。


 相変わらずの会話に、僕は静かに息を吐く。


 今ここにいる直樹、瑛一郎、沙那、萌は、全員地元が同じ幼馴染だ。


 松尾家の二人は、僕が小学二年生の時に関西から僕たちの地元に引っ越してきた。

 だが元々転勤一家であり、一年前に遠方への転勤が決まったタイミングで、この寮のある緑法館に入ることになったらしい。萌の受験を考慮しての選択だったと聞いた。

 大阪に住んでいた頃は親戚の家であり、僕たちの地元にある戸建ての家が二人の実家となっている。

 

 瑛一郎は、元々スポーツマンであるだけ、少しでも早く身体を動かしたいという理由から寮のあるこの学校に、沙那は外国語に関心があることからこの学校に、高校生になったタイミングで入学した。


 その為、彼ら四人とも昨年の春からこの学校にやってきたのだ。


 僕は中学の頃からこの緑法館に通っていた。国際交流に興味があったこと、さらに高校受験がないことからの進路選択だった。


 一人立ちする目的もあり、地元から離れたにも関わらず、まさかの幼馴染である彼ら全員、この学校に進学してくるとは思わないではないか。

 案の定、幼少期と変わらない毎日を送ることになっている。


「それにしてもほんま何もあらへんな。奏多毎日、何してんの?」

 萌はチーズおかきの袋を開けながら問う。


「スマホあれば何でもできるし。そもそも昨日まで相部屋だったんだから、さ」

 僕は遠まわしに「今日引っ越してきた」ことを強調する。


「まぁベッドさえ……」とそこまで直樹が言うと、萌が勢いよく彼の頭を打つ。


「何すんねんクソ姉貴! まだ何も言うてへんやろ」


「あんたが何言うかくらいわかるわ! お姉ちゃんはそんな子に育てた覚えはありません」

 

 二人は立ち上がって言い合う。発作的に起こる姉弟喧嘩も慣れたものだ。

 他の皆も気にせず、「こういうのなんつったっけ、ムニムニみたいな名前」と瑛一郎は呟く。

 その隣で沙那が笑いながら「ミニマリストね」と訂正する。よくムニムニから判別できたものだ。


「俺の部屋のほうが広いはずやのに、ここの方が広く見えるしなぁ」


 瑛一郎は、ポテトチップスをバリバリ食べながら言う。あえて食べカスに注視するも、彼が気付くはずもない。

 が、瑛一郎は舌を出し、ゲテモノでも食べたかのような顔でポテトチップスの袋を見る。


「プリン味のポテトチップスとか考えた奴の気がしれねぇ」


「こうして買う奴がいるから作るんやろな~」

 直樹がパキッとチョコプリッツを折りながら瑛一郎を見る。


「甘いもん食べたらしょっぱいもの食べたくなるだろ。どうせ胃の中で混ざるなら、初めから一緒に食ったほうがコスパが良い」


「でもまずいんでしょ」沙那は指摘する。


「そうだ。これは人類が食べるべきではない」


 瑛一郎は丁寧に袋を折り込み「もう食べません」宣言をすると、別のお菓子の袋を開け始める。


 本当、自由奔放だ。一応僕が一番年下であるものの、彼らの精神年齢を考えたら同等レベル、もしくはそれ以上だとは自負している。

 だが、強い波には抵抗する気力すら沸かないものだ。薄い板一枚で滝を止めようものなら、むしろ板が割れて被害が拡大する。

 だから僕は観念して白旗を降った。

 

「じゃ、手始めにまずはこいつからやろうぜ」


 瑛一郎は持参したボードゲームの中からひとつ手に取り、僕たちの中央に置く。プレイヤーの人生を決める少し昔に流行ったものだ。


 瑛一郎に流されるまま、僕たちはゲームを始めた。



***



 人生を三週ほどした後、皆、室内でうな垂れていた。


「クラス替えどうなるかなぁ~」

 瑛一郎は、人様のベッドの上で茫然と天井を見上げながらぼやく。


「でも、何か寮生活だし、クラスってあってないような感じかも」

 沙那は人差し指を顎に当てながら反応する。


 普通の学校の場合は、クラスメイトで高校生活が変わると言っても過言ではない。

 だがこの学校は全寮制で、プライベートな時間までも共有することから、授業は生活のほんの一部となっている。

 すでに「緑法館」という箱に入っているからこそ、確かにクラスという括りにあまり拘りがなかった。


「まぁ、でもあんたら今年、修学旅行やろ。結構クラスわけは重要やで。自由行動以外は、二泊三日一緒に行動やしな」

 萌はあっさりと指摘する。


「あいつ以外やったら誰でもいいや」

 直樹は口を曲げて言う。皆、触れないものの、恐らく誰のことを指しているか見当はついている。


「ってそうや。今日、寮長会議あったんや。ごめん、うちこれで」


 萌は飛び起きると、片手を上げて部屋を去った。

 この隙を逃すわけなく、「僕も少し疲れたな」と即座に呟く。


「そうだね。今日は解散しようか」沙那が提案する。


「おうよ。たんまりお菓子も食ったしな。ってことでこの残りたちは奏多への餞別だ」


「ただの食べ残しじゃん」


 僕の顔は引き攣る。皆、各々に好きなお菓子の袋を開けているだけにどれも口が開いていた。

 だが、そんなことも気にせず「萌さん寮長か~かっけ~な」と瑛一郎は目を輝かせながら部屋を出る。他の皆も軽く手を上げて部屋を出る。


 一人になった瞬間、大きく溜息を吐いてベットにダイブした。


「ふ――――――……」


 やっと一人だ。

 幼馴染であるだけ気を遣うことはないものの、傍観者であるだけ人がいると構えてしまうものだ。

 大きく伸びをする為に寝返りを打つが、そこで沙那と目が合った。


「沙那!?」


 魚が海面に打ち上げられたような勢いで飛び起きる。気が抜けていたことから、顔が一気に赤くなった。



「ご、ごめん、いきなり戻ってきて……奏多くんすごく疲れてそうだったから、迷惑かけちゃったかなって思って……」


 沙那は清潔な髪を耳にかけながら優しく笑う。


「ぜ、全然、楽しかったし……!」


 しどろもどろになる。顔面から滝のように汗が噴き出してきた。


「奏多くんは優しいね。瑛一郎くんと直樹が弾丸で言い始めたことなんだけど、私も楽しかった。じゃあゆっくり休んでね」

 そう言うと、沙那は軽く手を振って部屋を出た。


 僕は思考が定まらないまま、呆然としていた。


「もう、どうでも良くなるよね…………」


 彼女の純度百パーセントの言動が心に染み入る。それはもう、全ての疲れが消えうるほどに浄化作用をもたらしていた。

 関西人の血の流れる姉弟に、能天気なパーリーピーポー、と傍観者である僕とは対極の系統の人間と付き合えているのは、沙那のような癒し的存在がいるお陰だ。


 僕は気が抜けて再びベッドに倒れ込む。

 だが、今は先ほどまでの疲労は感じていなかった。



***



 授業が始まる一週間は、生活に慣れるのに必死だった。


 中学生の時は、共同生活という意識を与えさせる為なのか、風呂や洗濯といった家事全て相部屋である人物と行う。

 しかし、個人部屋となる高校生になると、基本的に全てのことを一人で行わなければならない。

 その分自由にはなるものの、時間のやりくりを考えるのは中々大変なものだ。


 僕は高校生棟内を詮索していた。

 寮は大きく中学生棟と高校生棟と別れており、さらにその中で男女、学年で区別されている。

 中学生棟とは違い、高校生棟は作りも広さも格段にレベルが上がる。

 広いラウンジにはソファや大型テレビが備わり、誰でも利用可能だった。

 ガラス張りの窓の外には青い芝生が広がり、その奥ではグラウンドで走り回る運動部の人たちの姿が窺える。


 桜は時期を迎え、可憐なピンク色が満開に広がる。このラウンジから見られる自然の変化も楽しみだな、と心が躍るものだ。


 テレビで「すご」っと呟いても反応がないのも個人部屋ならではだ。

 食事は三食提供され、当番制で共同スペースの掃除はあるものの、本当に一人暮らしのように感じられて歯痒くなった。



 始業式が始まり、クラス替えも終了する。

 今日は午前のみだった為、食堂で昼食を取り終えた後は自室に戻っていた。


「へぇ、美子と一緒なんだ」


 僕の部屋内でジャージ姿でくつろぐ北野 哀(キタノ アイ)は気の抜けた声で言う。

 普段は灰色がかったアッシュ色の地毛をハーフアップでまとめているが、身内である僕の前では、もはや気を抜いている姿しか見せない。


「哀は瑛一郎と一緒なんでしょ」


「そうそう。騒がしくなりそうだ」哀は目を細めて客観的に笑う。


 哀は僕のひとつ上のいとこだが、僕はひとりっ子であり、かつ昨年から同じ寮生活を行うことになった為、感覚でいえば姉弟のように感じていた。

 血が混じっている所以なのかもしれないが、彼女も僕と似た立ち位置にいるだけ親近感を抱くのだ。


「そういや祐介が、沙那と直樹と同じクラスって言ってたっけ」

 哀は人差し指を顎に当てて言う。


「直樹、祐介くんと同じクラスになったんだ」

 以前「あいつ以外やったら誰でもいいや」と言っていた直樹の顔が思い浮かぶ。


「うん。修学旅行もあるのにさ。おもしろいよね」

 他人事だからか、哀は楽しそうに笑う。


 哀や哀たち幼馴染も偶然が重なり、昨年からこの学校及び寮生活を送っていた。

 僕の幼馴染だけでなく、まさかの身内まで同じ学校に通うことになるとはつゆほども思っていなかった。

 そのおかげもあり、昨年から非常に騒がしい日々を送ることになっている。


「今年はゴールデンウィーク、奏多は帰るの?」


「うん、一応。お母さんがうるさいからさ」


 一人っ子の息子が中学生から親元を離れているだけ気持ちはわかるので、顔を見せるだけでもせめてもの親孝行だ。


「やっぱそうだよね。私も帰ろう」

 哀はごろりと寝転びながら適当に返答した。



***



 ゴールデンウィークが明け、個人部屋の環境にも慣れてきた頃。


 温かい陽光が窓から差し、心地良い体温が肌を包む。開けられた窓からは緩やかな風が吹き、ひやりとした冷感と青い香りが届く。

 ゴールデンウィーク開けの五月初旬、連日爽やかな日々が続き、一年で最も過ごしやすい時期だ。

 ラウンジから見られる桜はすっかり新緑が芽生えて春を終えたものの、穢れのない緑は目にも良い。

 

 だが天災というものは、前触れもなくやってくるものだ。


「奏多ぁ~起きろ~!」


 特徴的な声と共に威勢よくドアが開かれる。僕は危険を察知した新鮮なエビのように飛び跳ねる。


「って、おい奏多! おまえ部屋の鍵、閉めてないのかよ」


 瑛一郎は僕を叱りながらずけずけ部屋の中に入る。 

 僕は回らない頭のまま、身体を起こす。

 

「全寮制なんだから別に鍵しなくてもいいかなって……」 

 

「物騒だな。襲われでもしたらどうすんだ」


「僕、男だよ……」


 大きく溜息を吐くと、「で、何の用?」と問いかける。


「あーそうそう。あいつらがおもしろいことしててよ。喝を入れる為にも奏多にも見せてやろうと思って」


「あいつら?」


「ま、百聞は一見に如かずってもんだ」


 そう言うと、瑛一郎は勢いよく僕の腕を引く。

 僕は足がもつれそうになりながら彼についていく。


「ってみんな、朝からお揃いで……」


 部屋を出て突き当り廊下まで出ると、直樹に萌、そして沙那が立っていた。


「おはよ~奏多くん」

 部屋着のままの沙那は、ふにゃりと笑う。起きたてなのか、その顔には眠気が宿っていた。


「おまえのいとこがおもしろいことしてんだよ」


 あれ見てみろよと瑛一郎が指差すと、ラウンジ内で何やら筋トレを行う哀とその幼馴染四人の姿が目に入った。


「ほんまに毎日、やってるんやなぁ」

 直樹は、間延びした声で呟く。

 

「うちは朝から運動とか無理やわ」

 萌は、大きく息を吐きながら両手を広げる。


「でも、本当に仲が良いよね」

 沙那は、朗らかに同調する。


 同じクラスである美子から軽く聞いたことはあるが、まさか本当に早朝に運動をしているとは思わなかった。せっかく登校がないだけゆとりがあるのにもったいない。


 だが、彼らと一緒にいる哀の顔は、僕や身内の前では見せないほどに素の笑顔だった。


「哀の顔があそこまで変わるのは、あの人たちの前だけだしね」

 僕は心から答える。


「奏多の前でも?」

 瑛一郎が、素朴に問う。

 

「うん。元々哀は、一歩引いた場所からみんなを見ているようなタイプだし、正月に集まる時も周囲の会話を聞きながら、黙々とおせちを食べてる」


 僕は笑いながら説明する。


「だからそれだけ、あの人たちには心許しているんだろうなって、外野から見てるとよくわかるよ」

 

 自身が「観測者」と表明している哀は、基本的に僕たち身内の前ですらあまり感情を見せない。周囲から一歩引いた立場に立ち、全体を俯瞰しているようなタイプの人間だ。

「傍観者」である僕と共通する部分はあるものの、僕は感情を隠すのが下手だ。


 だが今の彼女は、彼らと同じ立場に立ち、ありのままの姿だった。

 その顔は、自身が「観測者」だと忘れているような感情の含む素の顔だった。


「確かにね」沙那は同意するように笑う。


 僕らの反応を見た瑛一郎は満悦顔になり、「それでだ」と本題を切り出す。


「俺らも負けてらんねーだろ。だから俺らも、あいつらみたいに運動やろうぜ! 俺、朝練あるから夜でも…」

 

「興味ねぇ」直樹が素っ気なく言う。


「寝たい」萌が適当にあしらう。


「めんどくさいかも」沙那が笑いながら答える。


「どうでもいい」僕は小さく息を吐く。


 粗方予測できていただけに、皆即答していた。僕らの中では、もはやお決まりの反応だ。


「おまえらな……」

 案の定、瑛一郎は力なく呟いた。



***



 月日は流れ、六月下旬。

 気候の良い時期から一変し、連日外は雨が続いていた。湿気で体はべたつき、空が暗いことから心なし気分も下がる。


 実際、今日から二年生は修学旅行で北海道に訪れており、寮内も人気が少なくなっていた。僕の周囲は二年生が多いだけ余計に実感する。


 時間をかけて大きく息を吐く。言葉にならない感情をデトックスしていく感覚だ。

 波のない海に浮かぶのはいつぶりだろうか。


 今日は休日である為、授業もなく自由だ。

 朝食を取り終えた後は、ひたすらベッドの上でスマホを弄る。


 たまにはいいだろう。 

 彼らがここに来て以降、ほぼ無休で相手していただけに気は抜ける。彼らが来る前は中学生で同居人がいたことから、完全に一人になるのは、もはや初めてとも言えるかもしれない。


「傍観者なんだから、元々体力はないんだよ」


 僕は習い事をしていなければ、部活動にも入っていない。

 好奇心旺盛な人物が常に周囲にいるだけ、彼らの影響で嗜む程度だった。どちらかというと、好きなものを楽しそうに語る彼らを見ているだけで楽しいものなんだ。


 風呂や夕食を終えた後も部屋内で伸びていた。ここ一年ほどの疲労を癒すような姿勢だ。


「たまには、ね……」


 だが何故か、もどかしい感覚に陥っている。心の裏側を掻かれているような歯がゆさを感じ、そして自分で触れることはできない。

 何の感情かもわからないが、妙に身体が何かを欲しているのは感じていた。


 急激に眠気が襲ったことで目を閉じた。



***



 眩しい光が降り注ぎ、心地良い温度が肌を包む。

「貴重な気候なんだから、もう少し堪能した方がいいぞ」と太陽が二度寝を誘った。 


 僕は寝返りを打つと、日の光で熱の孕んだ布団に身を丸める。

 光合成の行われた柔らかい羽毛に肌が沈み、「そうだそうだ。まだ起きるべきでない」と太陽とグルなのか、布団も腕を離さない。


 六月下旬のこの時期は、梅雨で連日雨が降り続くが、今日は珍しく穏やかな日和だった。

 それだけに、僕は貴重な気候を布団に全身を沈めて堪能した。


 そこで、ふと思う。


 何故、陽光が僕の顔を照らせるのだろうか。

 毎晩寝る時は、窓辺のカーテンはきっちりと閉めているはずだ。普段も毎朝起きると、自分でカーテンを開けて日光浴を行っている。

 先ほどまでと変わり、全身が引き締まる。内側を覆うように身体を丸めた。


 恐る恐る目を開けると同時に、「朝ですよー!」と活発な声が耳に飛び込んだ。


「ほーら、ほらほらほらほらほらほらほら。いつまで寝ているの、早く起きないと遅刻しちゃうぞ!」


 神崎 渚(カンザキ ナギサ)は、布団をバリッと剥がすと、僕の頬をピタピタ叩く。

 いきなり冷水シャワーを浴びせられたかのような強い刺激に、僕は飛び起きた。


「な、何々!?」


「わっ、哀と違って奏多は新鮮な反応だ!」

 

 僕の目の前に座る渚は、ぱっちり二重の目を輝かせながら華のある笑顔を寄せる。

 艶のある黒漆の髪からフローラルの香りが届いたことで、瞬時に目が覚めた。

 僕は咄嗟に身体を逸らして渚から距離を取る。


 何だ、この状況は。

 何故、僕の部屋にモデルの渚がいる。

 こんなの、週刊誌に写真でも撮られれば、大問題ではないか。


「何で、渚ちゃん……と美子ちゃんも?」


「奏多くんおはよ~」


 ベッドサイドには、僕と同じクラスの二宮 美子(ニノミヤ ミコ)がメロンパンを食べながら僕を見る。

 胡桃色の柔らかい髪に丸い目が輝く。起きたてだからか今日はリボンをつけていない。

 朝食前だというのに、彼女の胃袋は底を知らないものだ。

 

 いや、違う。そうじゃない。


「あ、朝から何?」


 一応男である僕の部屋に女の子二人がいきなり押しかける状況は、捉え方を変えたら良いのかもしれないが、僕は直樹ではないので動揺が隠せない。


 男は襲われないと考えていたが、このような状況が起こると肌で実感したので、今後は鍵を閉めるとしよう。


「奏多って、基本暇でしょ?」


「決めつけられてるね」僕の顔は強張る。


 確かに部活に入っていなければ趣味もないので的確ではあった。


「今、みんな北海道行ってて美子と二人だからさ、奏多もあたしたちと一緒に運動しようよ!」


 渚は満面の笑みで提案する。

 以前、瑛一郎に見せてもらった運動のことを差しているのだろうが、中々ハードに感じただけに即答できない。


「奏多くん弱そうなんだから、運動は必要だよ~」


「中々ひどいね」僕の顔は引き攣る。


 確かに運動もしなければ筋トレもしないので的確ではあった。

 だが、一応男であるだけ変なプライドがある。


「毎朝ラウンジでやってるやつだよね。あれくらい僕だって……」


 そう言った瞬間、渚が僕の腕を引き、走り出す。

 僕は足がもつれそうになりながら彼女についていった。



 結局いつもこうだ。

 海に浮かぶ浮き輪は、ただ波に流されるだけで抵抗することもできない。