• 成瀬 紫苑

「コールドゲームは望まない」第四試合 先輩vs後輩

爽やかに夏を駆け抜ける青い物語。



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【第四試合 先輩vs後輩】


 始業式が開始する。

 ただでさえ連休明けで気が滅入るのに、今日は四十度超えとさらに追い討ちをかけられていた。皆、ゾンビのようにフラフラした足取りで学校に向かっている。


 校門前では、生徒指導員による制服チェックが行われていた。頭髪のカラーやスカート丈など、夏休み気分から抜け出せていない人のチェックをしているのだろう。

 抜き打ちによるものの為、捕まっている人たちのほとんどが、廊下で顔の見たことのある一年生ばかりだ。

 私は先輩の指導から模範回答のような外見である為、声をかけられることもない。


 適当に流し見していたが、ふとある青年が目に入る。

 ほぼ金に近い色にゆるいパーマと、もはや目をつけられに来たのかと言わんばかりの髪型だ。怪我なのか手には包帯が巻かれ、生徒指導員に頭を掻いて謝罪していた。

 背格好から一年生には見えず、どことなく漂う気品から、むしろ上級生のように感じられる。

 

「三年生か……」私の顔は暗くなる。


 ただでさえ気が重いのに、思い出したことでさらに気分が沈む。


 ジワリと湧き出た汗が額を滑る。日の暑さも、球場外ではただ鬱陶しいだけだ。


 肩を落としたまま教室へと向かった。



***



「今回の死因は何?」


 教室内、机に突っ伏す私に、依都は冷静に声をかける。

 出会って半年経ったことで、私の扱いにも慣れたのか、その声はもはや作業のように淡々としている。いや、彼女の場合はこれがデフォルトでもあるが。


 私は無言で彼女に顔を向ける。


「前から思ってたんだけどさ、死因を被害者に尋ねるのっておかしくない? 探偵は推理するものでしょ」


「まだ息のあるうちは、被害者からの証言が一番有効になる」


 ごもっとも。

 私の頭の悪い軽口も、正当性を持ち出す彼女に敵うわけがない。


「何か……もう色々、ショックなんだよね…………」

 私は観念して再び机にうなだれる。

 

 そんな私を見て、「速水さんね」と名探偵依都は、あっさり見抜く。


「でもまだ確実じゃないんでしょ。それに陽葵だって、告白してないんだからわからないじゃん」


「告白なんて、できるわけ……!」無意識に声が大きくなる。


「まだわからないのに結果出すのも早いってこと。ただの妄想ほど信用できないものはないよ。まだ断られてないなら、少しでも株を上げてから砕けるべき」


「断られる前提ですか」ふてくされて唇を突き出す。


「基本的に後悔というものは、やらなかったことに対して起こることなのよ」


 依都は整った目元を光らせながら答える。

 しれっと話題を逸らされたが、もう気にしない。


「別に私は、付き合いたいわけじゃないし……」


「でも彼女がいてモヤモヤしてるじゃん。嫉妬しているのは、自分がそれを欲しいと思っているからだよ」


 ハッキリと指摘されて口籠る。


「例えばコインの裏表で決めるとして、表が出たのに残念に感じたらそれが答えなんだよ。自分の本当の感情を知るには、それこそ冷静に分析するしかない」


 全くもって正論だ。

 もはやここまで落ち着いて展開されると、爽快ですらある。


「だからこそ、まずは何よりも注目してもらうことが大事だよ。ちょうど二週間後にある体育祭の種目に、陽葵の得意とする分野があるんだから」


「私の得意な?」


「応援合戦」依都は心なし得意げな顔をして答える。


「速水さんは試合に集中していたんだから、陽葵の一生懸命応援する姿は見られていない。でも応援合戦は、応援している姿を見せる、応援がメインの種目なんだよ。だからこそチャンスじゃないのかな」


「そんな競技があるんだ……」


 よく知ってるね、と言うと「保険体育委員だから」とあっさりと返答がある。


 この学校を志望したのも、吹奏楽部に入部したのも、全部高校野球の応援の為だ。ここ半年近くも、全てその為に捧げてきた。

 もし、その姿を少しでも見てもらえるのならば。


 彼女の口車に乗せられているようで気が進まなかったが、これが現実を見ている違いなのだろう。


 始業開始のベルが鳴ったことで、私たちは席に着いた。



***



 適当に始業式が行われ、宿題の提出も済んだ後、ホームルームでは体育祭についての話がされた。


 うちの学校は部活動に力が入っているだけ、体育祭や学園祭という学校行事には、気合が入るか否かの両極端にわかれると先輩から聞いていた。


 部活一筋の人にとったら学校行事など、記録にもならなければ、ただ時間を浪費するだけで面倒に感じるのだろう。だが逆に夏の大会など終わった人たちには気晴らしになるらしい。特に一年生の時は、下っ端であるだけ、やる気になっている人は多い。

 ちょうどうちも定期演奏会まで時間があり、体育祭は実質運動部である成果を試す場でもあるな、と考えていた。


 一年生が出場する競技は、個人競技を除けば、棒引きに玉入れ、クラス対抗リレー、そして依都が言っていた応援合戦だ。


「せんせ~。応援合戦って、何やるんすか?」


 クラスメイトの赤髪でツンツンしたヘアスタイルの青年、楽斗原(ガクトバラ)くんが手を上げて尋ねる。


「応援衣装着て、応援している姿やパフォーマンスで競うものだよ」


 担任は曖昧なニュアンスで答える。

 今年入ってきた新米教師の為、具体的にはわからないのだろう。


「よくわかんねーすね~」

 じゃ、これはパス、と楽斗原くんも観念して手を振る。


 基本的に運動部中心にメンバーが決まっていくが、応援合戦だけ漠然とした種目なだけに中々決まらない。

 これさえ決まれば今日は解散、と言われているものの教室内には怠慢な空気が充満している。


 こんな中、立候補するのはかなり勇気がいるものの、応援をすることに価値を見出した今は、正直気になっていた。


「私……やります」


 じれったい空気が漂う中、私はおずおず挙手する。


「おお、橘やってくれるか……!」


 面倒臭そうにしていた担任も、やっと進展したことで元気を取り戻す。


「あとは男子だな。希望いるか?」


「じゃ、俺」

 そう言って、前座席の翔吏は手を上げる。


「翔吏?」

 私は思わず声を上げる。


「勘違いすんな。秋季大会まで日はあるし、ちょうどいい息抜きになるだけだ。応援する側の気持ちも知っておくべきだろ」


 翔吏は厳しい声で言う。

 本当彼は、常に上しか目指していない。彼の中では、もう次のステージに向かっているんだ。

 それだけに、速水さんを思うと胸が痛んだ。


 今の私にとったら、良い気晴らしになるはずだ。

 

 応援合戦は、三学年合同で行われる。一年生は三年生の指示に従うだけなので、ほぼ部活動と変わらない状況だ。

 厳しい環境で鍛えられているだけ、特に年上の人にも構えることなく準備を進めていた。


 ほぼ毎日集まりがあるものの、二週間という期間であるだけ、むしろ短いとすら感じるほどだった。


 だがある日、想定外のことが起こる。



***



 応援合戦の衣装合わせを行っていた。


「うそ、これ着るの?」

 私は衣装を見て青ざめる。


 うちの応援合戦の衣装は、ノースリーブに丈の短いスカートと、まさにチアリーディング部のユニフォームそのものだった。

 応援合戦は専用の服があるとは聞いていたものの、まさかこんなに露出の多いものだとは思わなかった。

 水泳の水着でも躊躇うのに、これを全校生徒の前で着るのなんて恥ずかしすぎる。


「豚足を見せられるこっちの気にもなれよ」

 翔吏は困惑する私に野次を入れる。


「とっ、豚足って……!」


「つかそれも知らずに応援合戦立候補したっていうのかよ。せめて豚から鹿くらいしまった身体にならねーと見るに堪えねぇってもんだ」


「ひど!」私は険しい顔で彼を睨む。


 男子の衣装は女子とは対照的に、全身真っ黒の長ランだった。裏地は黄色の布があしらわれ、まさに黄組応援団といった貫禄が漂っている。

 常に眉間に皺の寄っている翔吏だからこそ、厳格な彼には似合いそうだなとは内心思うものの、絶対口にはしない。


「こうなったら…………とことんやってやる……!」


 また翔吏に触発された形になったが、あそこまで言われたらこちらも黙っていられない。


 夏休み中は日の暑さから怠っていたランニングも再開し、筋トレの量も増やし始めた。

 さらに身体作りだけでなく、肌や髪のスキンケアも念入りに行うようになった。野菜中心の食生活に変え、水分も一日二リットル以上飲むようになっている。


 やれることはとことんやるしかない。

 せっかく応援している姿を見せられる、唯一のチャンスなのだから。


 学校に部活に応援合戦、そして個人トレーニングを繰り返す中、二週間という時間はあっという間に過ぎた。



***



 体育祭当日。

 今日だけジャージ姿での登校が許可されていた。普段とは違う外見なだけに新鮮だ。校門に立つ生徒指導員も、今日は制服のイチャモンがつけられずにおもしろくなさそうな顔をしている。


 教室内に入ると、皆ハチマキを着用しているところだった。

 私たちは黄組である為、黄色いハチマキが教卓に置かれている。


「おっすタチバナさん! 今日は頑張りましょうね!」


 楽斗原くんは、笑顔で私にハチマキを渡す。

 すでにハチマキを額に着用し、準備万端といった様子だ。八重歯を見せて笑っている顔からも、今日の体育祭が楽しみなのだろう。

 

「元気だねぇ」

 私は年寄りみたいな反応をしながらハチマキを受け取る。


「だって体育祭とか楽しくないっすか? 俺、楽しみで昨日の夜、眠られなかったっすもん」


「そんな遠足みたいな」


 私は苦笑する。楽斗原くんは、特徴のある声に常に活発な性格でクラス内でも目立つ人だ。

 純粋に何事も楽しもうとする姿は、見ていて飽きはしない。

 

 自分の席まで向かうと、前の席では翔吏がハチマキを巻いていた。


「青組の応援合戦、知ってる?」


 私はふと思い出して問いかける。翔吏は首を傾げながらこちらを向く。


「青組はうちと違って三年生が皆やる気らしくて、かなり気合入っているらしい。中でも団長は、もはやこの応援合戦に命捧げてる人なんだって。衣装も今回の為にわざわざ見繕ったって」


 うちの学校は十クラス編成で、AとB、CとD、EとF、GとH、IとJで赤、青、黄、紫、緑に別れることになっていた。

 パートリーダーの一ノ瀬先輩に応援合戦の練習について伝えた際、「うちはすごいよ」と得意気に話していたのだ。彼女は確か三年C組だったので青組のはずだ。


 負けず嫌いな翔吏をあえて煽るために言ったものの、彼は「ふーん」と興味なさそうに答えたので拍子抜けする。


 召集の放送が流れたことで、グラウンドへと向かった。



***



 午前は個人競技中心に行われた。

 皆、応援席から気だるげに観戦している。球場とはまるっきり正反対の気の抜けようだが、日の暑さから士気が高まらないので仕方ない。

 ただ一人、楽斗原くんだけは楽しそうに声を上げていた。


 昼休み休憩を挟み、私たち応援団は準備する。

 この二週間、本気で人体改造に取り組んだことから、体重二キロ減量、鏡で見ても以前より筋肉が増え、自分でも引き締まっていると感じられる体型にはなっていた。

 普段は部活の規則で禁止だが、応援合戦中は三年生の提案で化粧もすることになっている。この日の為に、化粧道具も一式揃えていた。


 部活中心の生活であったことから、中々オシャレにまで気が回らなかったが、身を飾る品に触れると気分が上がるので、女の子なのだと実感できるものだ。


 外見に自信が持てるようになったので、メンタルも強くなったように感じられる。普段より背筋も伸びていた。

 堂々と胸を張って歩く自分自身が誇らしく感じられるものだ。


 着替えを終えて応援席に戻る途中、他の応援団が目に入る。

 その中で、赤組に顔を向けて驚愕した。


「は、速水さん……」


 赤組応援団の団体の中心に、ひときわ目立つ身体の速水さんが目に入る。

 長ランには周囲の人よりも派手な刺繍が施され、長いハチマキを巻いている。ひと目で団長とわかる貫禄だ。

 その隣には、チア服のボブヘアの女性も立っていた。


 胸が圧迫される。鳥肌も立ち、背筋にゾワッとした感覚が襲った。

 少し自分に自信が持てるように感じられたのに、こうも簡単に心に靄がかかる。 


 私も赤組だったら――――――。


「おい豚。ぼーっと突っ立ってると邪魔だ」


 突き刺さるような声が聞こえて正気に戻る。

 振り返ると、険しい顔で私を睨む翔吏が立っていた。


 男子も着替えを終えたようで、黄色ベースの長ランを着用している。

 普段からガラの悪い目つきだが、応援団衣装からも、今日は更にいかつさが増していた。

 悔しくも、似合っていると本能で感じてしまった。


「豚って……! これでも二キロ痩せたんだから!」

 カッとなって反論していた。


 翔吏は眉間に皺を寄せたまま舌打ちすると、そのまま応援席へと戻っていった。

 

 むかつく。何もかもムカつく。

 先ほどまでの陰鬱な感情は消えたものの、釈然としないまま応援席へと向かった。


 昼休み休憩が終了し、早速応援合戦が始まった。


 速水さん率いる赤組はトップバッターだった。

 強い咆哮が響き、火山が噴火しそうなほどの地割れが起こる。燃え盛る炎の渦が生まれ、団員は火の精のように縦横無尽に舞う。


 その中央で、団長の速水さんは圧倒的な存在感を示していた。拳を天に突き上げ、団員を奮い立たせる。野球の時とはまた違った威厳が感じられた。

 ボブヘアの女性も団長の示す道の通りに可憐に舞っている。

 悔しくも「敵わない」と思ってしまった。


「応援はあんたの分野でしょ。何すでに負けたって顔してるの」

 依都は冷静な声で言う。


「だって……」

 言葉にできない。


 自分の中でどろどろした嫉妬がうごめいて気分が悪い。冷静に現実を見ようとしても、相反する感情が邪魔をする。


 こんなにも好きなのに、どうして自分じゃないのだろうかと願ってしまう。


「言ったじゃん。まだ結果が出ていないうちはわからないんだって。意外とやってみたら、化学反応を起こすことだってあるんだから」依都は冷静に言う。


「確かに、そうだよね…………」


 常に現状を見つめ、正論を口にする彼女だからこそ、今はその言葉に勇気づけられた。


 黄組の応援合戦の準備を促す放送が鳴る。

 私は大きく息を吸うと、胸を張ってグラウンドへと向かった。



***



 結局、応援合戦の結果は三位、と微妙な順位だった。


 一位は青組だ。一ノ瀬先輩が言っていたように、ひと目見ただけで白旗を振るほど潔く負けを認められるレベルの出来栄えだった。


 他の団とは対照的に派手な刺繍の施された羽織に袴、と全員和装を着用し、男子は扇子を、女子は和傘を差していた。応援団以外の人たちも青色ベースの羽織を纏い、青組全体から熱意が感じられた。


 そして何よりも演舞。団長が指揮を取るたび心地良い漣が生まれた。一切の狂いのない拍子に扇子の空を切る音からも、瞬きする隙すら与えないという気迫が感じられた。


 二位は赤組。速水さんの団だった。洗練された青組とは対照的に、個々の熱の感じられる演舞が評価されたものだった。


「かっけぇ~~~! 応援合戦ってあんなかっけーの? 俺、来年絶対出るっすよ!」

 

 応援合戦が終わった後、クラスメイトの楽斗原くんが興奮した調子で叫んでいた。個人競技でだれていたクラスメイトたちも目が覚めたようで、気合の漲る顔をしている。

 

「おつかれ。どうだった?」

 応援席に戻ってきた私に依都は問いかける。


「うん……やりきったよ!」


 結果はどうあれ、私自身も成果を出し切ったので悔いはない。

 上位二組には心からの称賛の拍手を贈っていた。



***


 

 その日の夕時、私は地元を歩いていた。


 今日は体育祭の休息の為に、部活動も休みだった。応援合戦に全てをかけていたことから、いまだに頭が茫然としている。少し外の風に当たりたかったのだ。


 あれだけ躊躇っていた衣装を堂々と着用し、全校生徒の前で胸を張って自分を出せたのだから、十分過ぎる結果だ。

 少しでも速水さんに見てもらえていたら、と考えるだけで満足だった。


 日の落ちかけた湿気の孕んだ草道を歩く。一歩踏み出すたびにシャワッと草の擦れる軽い音が鳴り、青い香りが舞う。

 早秋を告げる虫の音が響く。空気の澄んだこの地に心地良く反響し、すっかり夏は終わりだと感じられて物寂しくなった。


 いつの間にか川辺に辿り着いていた。いないとはわかりつつも、無意識に高架下に視線を向けている。


 だが、そこに速水さんの姿があった。

 

「は、速水さん!」


 思わず叫んでいた。

 その声に速水さんは気づくと「久しぶり」と柔らかい笑顔で手を掲げた。


 私は下に降り、恐る恐る速水さんに近づく。彼も腰を上げて私の元まで近寄る。


 てっきり練習していたとばかり考えていたが、彼は今、バットを所持していない。


「よかった。ちょうど橘さんに会いたいなって思ってたから」


「へ?」予想外の言葉に素っ頓狂な声が出る。


「今日の体育祭の応援合戦、すごかったよ。かっこよかった」


 速水さんは目を細めて笑う。

 私は心臓が圧迫されたように硬直する。


「試合の時は、直接見られなかったからさ。あんなにまっすぐ応援してくれてたんだって、音だけじゃなく姿でも伝わって、すごく震えました」


 電撃が走ったように身が縮んだ。

 応援している姿は直接見られてない、とは依都も言っていたことだ。だから私は、この応援合戦で今までの成果を出し切った。


 その想いが、少しでも届いていたんだ。


 思わず顔が歪むが、対照的に速水さんの顔は曇る。


「いつもあれだけまっすぐ応援してくれてたんだと思うと、本当情けないなって……何ていうか」


 そこで速水さんは目を伏せる。「本当に、ごめんね」

 

 口を軽く開いて静止する。


 速水さんは、私の頭ひとつ分以上に高い背丈に、体重も倍はありそうな大きな体格だ。

 試合の時は、主将として緻密なリードと豪快なスイングで部員を導いていたし、応援合戦の時は、団長として炎を操るように皆の士気を高めていた。

 何より常に彼の周囲には人が集まり、皆にとって欠かせない、大きな存在だったんだ。


 だが、今の彼からはそんな貫禄が感じられなかった。

 こんなに小さな彼の姿を、今まで見たことがない。


「私、ずっと、速水さんに会いたかったんですよ……」


 ポツリと呟く。

 速水さんは顔を上げて反応する。


「ずっと、ずっと話したいと思ってたんです。でも、速水さんあれからここで練習されなくなって、どうしたのかなって…………」


 決勝戦で負け、あと一歩甲子園に届かなかったことがどれほど悔しかったのか、目前に立っている速水さんの姿を見るだけで伝わる。

 主将という立場で、且つ私の言葉も彼に重責を背負わせていたのかもしれない。


 だが、その後の夏祭りで、あの女の人と一緒に回っている姿を見てしまった。

 ほんの少しだけ、悔しくなったんだ。


 辛さとやりずらさと悔しさと悲しさで、感情が入り混じっていた。

 まっすぐな速水さんの感情を素直に受け入れられるほど私は澄んだ人間じゃないのだろう。


 彼を追及するような可愛げのない反応をしてしまう自分が嫌になる。


「ごめんね……何となく心配かけているかなってわかってたんだ。でも、中々気持ちに踏ん切りがつかなくて」


 そう言うと、速水さんは大きく息を吸いながら空を見上げる。


「決勝、負けたのが本当に悔しくって……情けない姿は見せたくなかったし」


「全然、情けなくないですよ」


「先輩は格好つけたくなる生き物なんです」

 速水さんは眉を下げて答える。


「あんなこと言っておきながら、全然かっこつかないだろ。だから本当……」


「速水さんは、かっこいいですよ……!」


 私は速水さんの言葉を遮って否定していた。

 私の反応に、速水さんは目を丸くする。


「先輩はかっこいいですよ! 実力がありながらもさらに上を目指す姿も、悔しいはずなのに、みんなの前では感情を見せない姿も、今日の応援合戦の団長の姿も…………それに……」


 そこまで言うと、私は目を閉じて小さく息を吸う。「大切な人を、一途に想う顔も」


 驚きのあまりか、速水さんは口を開けたまま静止している。

 私は続けて口を開く。


「すみません。私、夏祭りで速水さんを見かけたんです……」


「あ、それでかぁ」速水さんは苦笑しながら頭を掻く。


「うん、まぁ、そうだね。あの人は俺にとったら特別であることには違いないけど……でも、そんなんじゃないよ」


「え?」


「そんなんじゃない……ただの、一方通行だから……」


 速水さんは目を落として言う。

 私は唖然と口を開けていた。

 

「でも、まだそうと決まったわけじゃないですよね……?」


――――まだわからないのに結果出すのも早いってこと。

 以前、依都が私に言ってくれた言葉を思い出しながら恐る恐る問いかける。

 だが速水さんは即座に首を横に振る。


「顔見ただけですぐにわかるよ。一目見ただけで、敵わないなって、あぁこれはダメだなって、わかってしまったんだよね」


 澄んだ空に静かに木霊する。まるで共感を示すかのような余韻が感じられ、心に深く刻まれる。

 それほど彼の言葉に納得できるところがあった。


「わかりますよ……だって…………」


 私は表情筋に力を入れて感情を耐える。


「私もずっと、速水さんのこと、見てましたから」


「え?」

 速水さんは目を丸くして私を見る。


 口から心臓が飛び出しそうだった。

 全身の毛細血管が活性化され、血流が盛んになり顔が真っ赤になる。

 頭から湯気が吹き出しそうになるほどに体温が上昇するのを感じた。

 鼓膜の裏までドクドクと脈の打つ音が響く。

 

 こんなにも、感情を口にするのは緊張するもんなんだ。


「…………私……………………速水さんが好きなんですっ…………」


 言葉を振り絞る。消えそうなほどにか細くて、弱々しい声だ。

 様々な装置でろ過され、やっと抽出された一滴の感情だった。


 速水さんが私を見る視線を感じるが、顔が上げられない。

 頭を上げた瞬間、現実が目に入った瞬間、きっと、私は耐えられない。


「…………嬉しいよ。本当にありがとう」

  

 ぽんっと頭に重みを感じる。温かい体温が伝わり、自然と強張りが解ける。


 速水さんが私の頭を撫でてくれていた。顔の上げられない私の緊張が彼に伝わり、あえてそのような行動を取ったようにも思える。

 

「本当にありがとう。……今は応えられないけど、でも、こんな人間を想ってもらえるなんて光栄だよ」

 速水さんは柔らかい声で丁寧にそう言った。


 覚悟していた結果なだけに悲しくはない。

 頭ではわかっているが、対照的に頬が痙攣し始める。


「……これは、私が言いたかっただけなんです。ただの自己満足なので……気にしないでください…………」


「気になるよ」

 速水さんは温かい声で即座に反応する。


「貴重な同じ地元の、大切な後輩なんだから」



***



 私はあの場から逃げるように走っていた。

 目的地も定まらないまま、足がもつれそうになりながらひたすら地を蹴る。

 犬の散歩をする老人を追い越す。すっかり日が落ちたことで、耳まで火照った顔面を隠すことはできていた。


 今日一日、今までの自分全てを出し切った。燃えカスすら残らないほどに完全燃焼した。


 元々、敵わないとわかっていたのに、一瞬だけ夢を見てしまった。

 速水さんがあの人と付き合っていなかったから、あの人と上手くいっていなかったから、

 少しだけ、少しだけ安堵してしまったんだ。


 だけどはっきりと言われてしまった。

 彼の中で私は、「後輩」以上の関係になることはない。

 

 いつものように夢だけ見ていればいいのに、頭を上げた瞬間、速水さんの顔を見た瞬間、現実が突きつけられた。

 私の目を覚まさせるには、言葉以上に効いてしまった。


 立ち止まった瞬間、目から口から、せき止められていた急流が開放されたように涙と感情が溢れ出る。

 必死に手で塞ぐも、顔の強張りが解けたのか、拭っても拭ってもこぼれ出す。


 あまりに汚くて認めたくなかった。

 もうすでにこの感情の正体はわかっている。

 恐らくこれこそが、私の本当の望みだったんだ。


 私はその場にしゃがみ込むと、子どもみたいに泣きじゃくった。


「私じゃ……駄目かぁ…………」


 初めて速水さんと出会ってから、気づけば彼のことばかり考えるようになっていた。

 こんなに高校野球が好きになったのも、部活動を頑張ろうと思えたのも、全部全部速水さんと出会ったからなんだ。


 過呼吸になるほどに胸が圧迫されていた。唾液で喉がつっかえ、軽く咳き込む。


 ずっと好きだったのに、踏ん切りがつけられるわけがない。

 

「おい、そこの不良女」


 突如、聞き覚えのある声が響く。

 ハッとして振り向くと、そこにはジャージ姿の翔吏が立っていた。


「外でわんわん泣いてんじゃねーよ、補導されて—のか」


「いや、どっちかというと、補導されるのは翔吏でしょ」


 私の顔は引き攣る。

 黒ベースのジャージのフードを被り、総柄Tシャツを着用している風貌からも、明らかに柄の悪い外見をしているのは彼の方だ。


 慌てて涙を拭う。翔吏はチッと舌を鳴らしながら頭を掻く。

 毎回タイミングが悪い。すでに遅いものの、情けない顔を見せるのは、負けた気がして嫌だった。


「というか何でここにいるのさ……翔吏の地元から離れて」


 とここまで尋ねてすぐ、彼の背後に「虹ノ宮総合運動公園」があると気づく。

 翔吏は無言で顔を逸らすが、手に野球ボールが握られていることからも、何となく察してしまった。


「もしかして……夏を思い出しに来たの?」


「んな生ぬるい過去に浸りにきたわけねーだろ。体育祭終わったんだから、秋大に本腰入れにきただけだ」


 翔吏は険しい顔で怒鳴る。私はムッとして顔を下に向ける。


 決勝の日、彼は泣き崩れる先輩の奥でただ一人、スコアボードを見つめて現実を受け入れていた。

 常に上しか見ていない彼には、すでに次のステージに進む準備をしているのかもしれない。


 先輩の意志を引き継いで、甲子園という場に訪れる為に――――


「……ねぇ、聞いてくれない?」


「嫌だ」


「即答。でも話す」私は唇を突き出して言う。


「私、二年前に、紫野学園が甲子園に出てるのをテレビで見てさ、それがキッカケで吹奏楽部に入ったんだ」


 私は滔々と話す。

 翔吏は反応を示さず、手でボールを弄んでいる。


「今年はいけなかったけど、私たちまだ二回チャンスがあるじゃん。だからさ…………連れてってよ、甲子園に」


 そう言うと、翔吏は露骨に嫌そうな顔をする。


「頭沸いてんのか。勝手に言ってろ」


「はっ、速水さんは言ってくれたのに!」


 思わず反論していた。

 だが、翔吏は「結局、行けてねーじゃねーか」と冷たく返す。


「欲しいのは言葉じゃなくて結果だろ。生ぬるい夢見てぇなら、そういう奴に甘やかされたらいいんだ。何よりてめぇが何でうち入ったとか一ミリも興味ねーよ」


「ひど」私の顔は引き攣る。


「ただ、俺が甲子園に行くのは当然のことだ。だから」


 そう言うと、翔吏は空を見上げる。



「ついてきたけりゃ、勝手についてくればいい」



 そう吐き捨てると、踵を返して歩き始める。

 あまりにも傲慢な態度に、私は呆気にとられていた。


 いつの間にか涙は止まっていた。

 今までだってそうだ。部活を辞めようと思った時、私が弱くなった時、常に彼と話すと、全てがどうでもよくなっていた。


 そしていつの間にか、上を向けるようになっていた。

 ふと空を見上げて目を見開く。


「すご……!」


 夜空には星が眩しく輝いていた。

 空気が澄み、周囲の街灯も少ないことから思わず見惚れるほどだった。


 こんなにもきれいな夜空が広がっていることも、一人だったら気づけていなかった。


「翔吏!」

 私は彼の背中に向かって叫ぶ。


「んだよ」 

 翔吏は険しい顔で振り返る。


「私、しぶといから」

 

 私は立ち上がると、彼に宣言する。


「私、夢にしがみつく根性だけはあるんだよ。だから嫌だって言っても、ついていくから」


 翔吏はしばらく黙り込むと、「せいぜい、振り落とされねぇこったな」と手を上げてこの場を去った。



第四試合 先輩vs後輩 完



次→「ゲームセット【完結】」