• 成瀬 紫苑

「コールドゲームは望まない」第一試合 部活動vs自分

爽やかに夏を駆け抜ける青い物語。



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【第一試合 部活動vs自分】


「一年、ペース落ちてるよ」


 ストップウォッチを所持する先輩が叫ぶ。

 怒気の孕んだその声に、私たち一年生は「はいっ」と背筋を伸ばして速度を上げた。


 あと数分で終わると理解しつつも、身体は言うことを聞かない。

 曲がり角で先輩の姿が見えなくなった瞬間、膝をついて息を整えた。

 思わず立ち止まったことで、溜まっていた疲労が一気にふくらはぎに流れ込み、床に足が貼りついたかのように硬直してしまう。


 紫野学園高校の吹奏楽部に入部して早一ヶ月。

 私たち一年生の日課は、ほぼ体力作りで終了していた。

 その中でも一番過酷なのが、校舎内を利用した三十分間走だった。


 外は正式に「運動部」と定義されている部活動が占拠していることから、便宜上「文化部」である吹奏楽部の人間は利用できない。その為、三十分間走は、校舎内二階と三階を往復するコースとなっている。

 平坦を走ることだけでも体力を消耗するにも関わらず、階段の上り下りに加え、フローリングの硬さが膝に追い打ちをかける。

 少しずつ慣れてきたとはいえ、いまだ終盤には脚が悲鳴を上げていた。


 私は、いつから吹奏楽部を「文化系部活動」だと勘違いしていたのだろうか。


「陽葵(ヒマリ)、何、休憩してるの」


 同期の軽蔑の声色で正気に戻る。

 私は、「ご、ごめん。すぐ行くから……」と苦し紛れの弁解をした。


 背筋を伸ばして前方を走る皆を一瞥する。

 同期のほとんどは、中学校でも吹奏楽部であったことから、体力作りや先輩の叱責に慣れているのだろう。

 覚悟していたとはいえ、目に見えてわかる格差にやはり絶望してしまう。


 私は額の汗を手で拭うと、再び走り始めた。



***



「吹奏楽部は運動部…………」


 教室内の机に突っ伏したまま呟く。

 毎日行われる過酷な練習メニューから、まだ高校一年生ではあるものの睡眠だけでは回復が追いつかなかった。

 

「吹部って運動部でしょ」


 淡々とした声で反応がある。

 声の主、長谷川 依都(ハセガワ イト)は、お弁当袋を机に置きながら前座席に腰をかける。

 肩の高さに切り揃えられた黒漆の髪に、雪白な細い指が視界を過った。


 冷静で落ち着いた声に現実に引き戻される。授業の記憶が飛んでいるが、依都がここに来ているということは、お昼休みに入ったのだろう。

 私は渋々身体を起こすと、鞄から菓子パンの入った袋を取り出した。



 私がこの学校、紫野学園高校の吹奏楽部に入部すると決めた中学二年生の頃に、軽く話は聞いていた。

 だが、体験していなかっただけに信じていなかった。


「吹奏楽部って、ある意味運動部やで。特に一年生の頃は毎日体力作りばっかやし、中々楽器に触らせてもらえへんな」


 当時中学校の吹奏楽部員であった友人の訛りの混じった言葉が脳裏に反響する。

 未知の世界であるが故に想像ができなかったこと、さらに高ぶる熱を鎮火されかねない言葉にムッとなり、当時は話半分で聞いていたのだ。


 彼女の言葉も、今なら深く頷くことができる。

 

「吹部は中学生の頃から部活に入ってる人ばかりでしょ。それなのによく挑もうと思えたというか」


「無謀だと思っているでしょ」私は唇を突き出す。


「いや、素直に驚いている」


 依都は真顔のまま答える。「それもこの学校で、なんてさ」


 私の通う「紫野学園高校」は、部活動に力が入っていることで有名だ。

 外から確認できる垂れ幕や横断幕の数に、学外にも練習場のある整った設備環境から、入学前からそういう学校だとは認識していた。

 

 もちろん吹奏楽部も例外じゃない。

 毎年行われるコンクールでは金賞を受賞し、さらに全国大会の出場経験も多数、と輝かしい成績を残している。


 そんな学校の部活動に、私は根性だけで乗り込んでいたのだ。


 しのぎを削って部活動に打ち込むこの場所で、素人が参入するのは無謀だとは理解している。

 とはいうものの、少しくらい夢を見たかったのだ。


「だってさ、感動したんだもん……」


「中学二年生の頃にテレビで見た甲子園でしょ。知ってる」

 依都は、卵焼きを箸でつまみながら、はいはいと頷く。


「高校野球の応援がしたいから吹奏楽部に入りたいって思うのは、よくある話だよね」


 全く持ってその通りなので、ぐうの音も出ない。


「眩しい世界しか見ていないからだよ。ほら、よく考えてみて」


 そう言うと、依都は細くて白い人差し指を立てて切り出す。

 

「野球の試合なんて、だいたい二時間ぐらいあるでしょ。約二時間もの炎天下の中、演奏することを考えたら、体力は必要だとわかるはず。陽葵は当時、クーラーの効いた部屋の中で、テレビで見ていたから気付かなかったのかもしれないけど」


「依都は現実的だよね」

 図星であることから、苦し紛れの皮肉を言う。


「現実を理解するのは大事だよ」

 依都はキューティクルの輝く髪をさらりとなびかせながら返答する。


 彼女は論理的思考であり、現状を冷静に分析する為、正論ばかりを口にする。

 私の夢見がちな性格からも、彼女のような人が傍にいるだけ抑止力にはなるものだ。


 だが、理屈と感情は別ものだ。

 毎日ぼやいていることで呆れているのかもしれないが、少しくらい同情の色を見せてくれても良いではないか。


「ま、でも、果敢に挑む陽葵の勇気はすごいと思うよ」


「馬鹿にしているでしょ」

 取ってつけたかのような言葉にふてくされる。


「いいや、褒めてる」

 依都は表情を変えずに答える。


「この学校の部活に入る人なんて、本気の人ばかりだし。目に見えてわかるレベルの差に愕然とするから、私だったら絶対にできない」



 キーンコーンカーンコーンと授業開始五分前のベルが鳴る。

 それと同時に教室ドアが開かれ、スポーツバックの所持した球児たちがぞろぞろ入ってきた。

 もう入学して一ヶ月経つにも関わらず、いまだその姿を見ると胸が高鳴るものだ。


 彼らの内の一人が、こちらの席まで歩く。

 綺麗に剃られた坊主頭に、アンダーシャツから覗く焼けた肌も、まさにあの時テレビで見た球児そのものだ。


「ぶっさいくな顔」


 近くまで来た野中 翔吏(ノナカ ショウリ)は、私の顔を見て吐き捨てる。

 眉の吊り上がった鋭い目つきに、無駄のない顎ラインからも、体格以上の気迫が感じられた。


 先ほどまでの感情の高ぶりが、一気に急降下した。


「…………かわいい顔を維持する体力がないだけです~」

 私はやけくそに唇を突き出す。


「元が良いみたいな言い方はよそうぜ。虚しいぞ」


「うるさいな。貴重な休憩時間を邪魔しないでよ」


「そんなこと言われても、俺の席、ここだし」

 そう言って翔吏は、依都の座っている席を指差す。


「あぁ、ごめんね。勝手に座って」

 依都は特に動じずに腰を上げる。


「別に。昼休みはミーティングだし」

 翔吏もあっさりと返答する。


 依都は表情豊かではないものの、整った顔立ちに冷静な態度からも大人に感じられる。

 とはいえ、私との態度の差が歴然で不愉快だ。

 目前の大きな背中を拳で叩きたくなる衝動に駆られるがグッと耐える。


 悶々とした感情のまま、午後の授業が開始した。



***



 解散の宣言がされると同時に、勢いよく教室を飛び出した。


「廊下は走ってはいけません」とは言われるが、部活動で散々走っているのだから滑らないコツは掴んでいるつもりだった。

 同じパートの先輩には、時間割が把握されている。少しでも遅れるものなら、後に呼び出されて説教を受けるのだ。


 うちの部活動は、練習が厳しいだけでなく、上下関係もかなり厳しい。

 遅刻は分刻みで減点され、挨拶やお辞儀の角度、声量や言葉遣い、スカート丈や髪色など、チェック項目は多数設けられている。先輩と廊下ですれ違った際に挨拶をしないようものなら、どんな仕打ちが返ってくるかは想像するだけ恐ろしいものだ。もはや許可されていることを見つける方が難しいのかもしれない。

 とにかく先輩の前では、一切、気の緩みを出すことができなかった。


 普段は授業終了のベルと共に部室まで向かっていたが、今日は少しだけホームルームが長引いてしまった。

 特に今日は準備の当番であることから、クラスメイトの同期たちよりも早く部室に辿り着く必要があったのだ。


 一心不乱に部室を目指していたことから、曲がり角で身体に衝撃を受ける。


「どわっ!」


 走っていた反動からも私はダイナミックに転ぶ。腕から抜けた鞄がフローリングの床を滑った。


「ご、ごめん! 大丈夫!?」


 はっとして顔を上げると、目前に青年が立っていた。大柄な体格で、まるで熊に見下ろされている感覚になり、反射的に身構える。


「ご、ごごごめんなさい……」


 恐らくこの青年とぶつかってしまったのだが、彼は一切打撃を受けていない。

 慌てて身体を起こしてホコリを払うと、何度もお辞儀をした。

 

「ケガがなかったなら、よかった」

 

 青年は柔らかく笑う。大きな体躯とは対照的な、少年のような眩しい笑顔に身体がかぁっと熱を帯びた。


 再び辞儀をして投げ出された鞄の元まで向かうが、せっけんの制汗スプレーの香りが漂い、振り返る。


 先ほどは気が回らなかったが、職員室に入る大柄な青年は、短髪にアンダーシャツの覗く恰好をしている。

 その姿は、まさに「球児」だと示していた。


 まさかの偶然に、私の身体はさらに熱くなる。


「って、舞い上がってる場合じゃない……」


 悲しく投げ出されている鞄を拾うと、再び部室を目指して走り始めた。



***



 本日も無事、部活が終了する。

 午後八時が活動終了の時刻である為、他の部活動の人たちもその時間までには練習を終えて帰宅を始める。


 授業中とは違う練習着であり、さらに日の沈んだ夜であることから、校門前では立ち止まって話す生徒が多かった。

 だが先輩の目の届く場所であるだけ、浮かれた行動を取ることはできない。

 その為、私たち一年生は、学校からすぐに退出しなければいけないものだ。


「疲れた……」


 同期と曲がり角で別れた後、大きく溜息を吐く。

 遅刻の減点はされなかったものの、細かいミスが多く、注意ばかりされたのだ。

 

 毎日の運動だけでなく、先輩に対しての配慮も含め、そろそろ心身共に堪えきれなくなっていた。

 根性論だけではうまくいかない。やはり依都のように、現実を見るべきだったのかもしれない。


 帰宅したら夕食があるものの、駅前にあるファストフード店「ワック」へと入店する。

 この店のサンデーが値段も良心的で、味も文句のないものだったので、自分を労わる際にたまに購入するのだった。


 駅前に位置する為、夜であるが数人の列ができている。順番待ちの間、茫然と店内を見回す。


 このワックは、学校の最寄り駅の目前に位置することから、紫野学園高校の生徒のたまり場となっていた。

 現在も、部活動を終えた生徒であろう人達の集団がいくつか確認できる。

 

 とそこで、奥に先輩の姿を見つけて身体が硬直する。

 幸い、まだ向こうはこちらに気付いていないものの、目が合えば挨拶をしなければならない。

 そんな体力もない私は、サンデーは諦めてドアまで向かった。

 

 だが、そこで視界に大きな体躯が目に入り、「ひっ」と声が漏れた。


「あぁ、すみません……って、君」


 どこかで聞いた声にハッとして顔を上げると、今日廊下で衝突した大柄な青年だった。

 アンダーシャツを着用した制服姿だが、昼間よりもキツイ制汗スプレーの香りから練習後だとはわかる。


 とはいうものの、全く疲労が見られないその佇まいから、本当に部活終わりなのか疑いたくなるほどだった。


「昼間はごめんね。間に合った?」

 青年は眉をさげ、澄んだ瞳で問う。


「いや、私が悪いので……だ、大丈夫でした……」

 私は大袈裟に手を振る。


 全力で否定したからか、青年は表情を崩して柔らかく笑った。


「そっか。ならよかった。ちょっと心配だったからさ」


「いや、そんな……」


 恥ずかしくなって顔を下げた瞬間、目を見開いた。

 青年も私の視線を辿り、自身の手元を見る。


「あぁ、これ。家帰るまで持たないからさ」


 青年の持つトレーには、ハンバーガーが三つ、ナゲットの箱がひとつ乗っていた。

 口ぶりから家でも夕食を食べるのだとはわかるが、それにしても量が多い。


「た、たくさん食べるんですね……」


「練習後には腹が減るもんだろ」

 青年は無邪気な顔で笑う。


「おい速水、何、後輩に手出してんだよ」


 どこからか届いた声に顔を上げると、奥の席に野球部仲間であろう数人が、こちらを見てニヤニヤ笑っていた。


「そんなんじゃないから」

 青年は軽く否定をする。


 彼らから明かされた青年の名前に、私は思考が停止していた。 


「速水……?」


「え?」


 私の呟きに、速水と呼ばれた目前の青年は反応する。


 だがその瞬間、奥の席に座っていた先輩たちと目が合った。

 全身の血の気が引き、頭が真っ白になる。


「おっ……お疲れ様です!」


 私は定められた角度でお辞儀をすると、考えるよりも先に店を飛び出した。


 駅へと真っ直ぐ向かうが、いまだ心臓がバクバクなっている。

 様々な感情が降り混じり、何から処理すべきか混乱していた。


「速水って…………もしかして、キャプテン?」


 速水瞬(ハヤミ シュン)。紫野学園高校に入学してすぐに野球部を調べた際、主将の欄で確認した名前だ。

 運動部らしい爽やかな響きからも印象的だった為、脳内に刻まれていたのだ。

 

「キャプテン……キャプテンかぁ…………」


 赤く染まった頬に手を当てる。

 憧れていた野球部の、それも主将とこんな形で話せるとは思わなかった。

 

 やはり私は依都とは違い、夢見がちなのだろう。

 今日はついていないことが多かったものの、そんな疲労がすっかり飛んでいた。



***



 入部から二ヶ月経ったことで、部活動の練習メニューにも変化が訪れた。


「今日から一年生も楽曲の練習に入ります。まずは一ヶ月後に始まる野球部の応援楽曲からです。まだメンバーは発表されていませんが、基本的な曲は例年と変わりないので」


 部長からそう指示された瞬間、一年生のいる場から感嘆の息が漏れた。


「やった……やっと本格的に練習…………!」


 今までは体力作り中心に、マウスピースで音を鳴らす基礎的な練習しか行っていない。

 本格的に練習できること、さらに野球部の応援という最も私が望んでいたイベントであるだけ高まっていた。

 

 だが、ここでも現実に打ちのめされる。


「全然、鳴らない…………」


 久し振りに所持するトランペットが全然鳴らなかった。

 音を出すことに必死で、楽器を支える腕は痙攣し、構えの姿勢もだらしない。

 あの時テレビで見たように、空に向かってまっすぐ吹くなんてことは持ってのほかだった。

 マウスピースで音を出す練習はしていたはずなのに、こうも変わるものなのか。

 

「橘さん、そんな恰好だと楽器がかわいそうだよ」


 同じトランペットパートのリーダー、一ノ瀬(イチノセ)先輩が呆れたように言う。

 清潔感のあるストレートの黒髪に、切長の目元からも、言葉以上の気迫が感じられた。


「す、すみません……」


「この二ヶ月何やっていたの。そんな音じゃ、応援される方が恥ずかしいものよ。諦めたほうがいいかもね」


 先輩の言葉が胸に刺さる。同じパートの同期たちも、軽蔑するような目で私を見る。

 同期は元吹部ばかりであることから、当然だがこんな初歩的な場所で躓く人なんてほぼいない。


 あまりにも稚拙な自身のレベルに、目前が真っ暗になった。



 部活動終了後、同期と解散すると、私は駅とは反対方向に歩いていた。

 普段はすぐに帰宅していたものの、今日は少しだけ外で一人になりたかった。 


 初夏に入ったものの、午後八時を過ぎると日は沈み、周囲は暗くなっている。駅とは反対方向であることから人気は少なく、街灯がポツリポツリと道を照らしていた。

 並木道の近くにある公園を目指し、学生の下宿するアパートの密集する地を抜ける。


「辞めようかな……」

 思わず口から漏れていた。


 本気で部活動に取り組む人ばかりの学校だとは受験前からわかっていたことであり、それでも挑戦したいと思ったから入部したんだ。


 やる気さえあればチャレンジできると思っていた。そんな強い根性があると勘違いしていた。

 結局私は、現実が見えていなかっただけなんだ。


 目にじわりと涙が浮かび、慌てて手で拭う。

 先輩の厳しい言葉も、同期たちの軽蔑する目も、全部自分の実力不足から来るものだと理解しているからこそ痛かった。

 覚悟はしていたし、情けないともわかるが、それでも身体は素直だった。


 理屈では、感情を処理しきれないものだ。


 並木道にある公園内に人影が見える。

 先客がいたことに気を落とすが、そこで目を見開く。


「翔吏?」

 

 公園内で翔吏がバットを振っていた。

 ラフなTシャツにジャージ姿で、真剣な顔で何度もフォームを確認している。

 まだ部活動が終了して三十分も経っていないにも関わらず、休むことなく個人練習をしているのだろうか。


「橘?」


 私に気づいた翔吏は、Tシャツで汗を拭いながらこちらを見る。


「あ、ごめん、ちょっとびっくりして……部活終わった後なのに、早いね」


「そこ、俺の家」

 そう言って翔吏はバットで近くの家を指す。


「というかおまえ、電車だろ。何でこんなところに」


「や、ちょっと、散歩というか……」


「へっ、呑気なもんじゃねーか」

 

 吐き捨てられた彼の言葉にムッとする。


「…………少しくらい良いじゃない。休憩することも大事でしょ」


「そんな余裕、欲しいもんだね」翔吏は皮肉めいて口にする。


 余裕なんてあるわけない。だが、そうともとれる言葉を言ったことは事実だ。

 

「やっぱり、野球部も厳しいものなの?」私は恐る恐る問いかける。


「当然だろ」

 翔吏はバットを確認すると、再び構える。

 

「ただでさえ俺にはブランクがあるんだ。休む暇なんて、あるわけない」


 ブンッと空を切る音が鳴る。遅れてまとまった風と青い新緑の香りが届いた。


 ひたむきに上を目指す彼の向上心に、私は圧倒されていた。


「た、大変だったんだ」


 そう呟くと、翔吏は吊り上がった目でこちらを睨む。


「他人事じゃねぇだろ。てめぇも部活やってんなら、さっさと家帰って練習しろ」


「すっ、素直に同情してあげたのに!」

 予想外の反応にムッとなる。


「んな生ぬるい言葉なんていらねーよ」

 翔吏は眉間に皺を寄せたまま、再びバットを構える。


「少しでも時間あんなら、てめぇの為に時間を使え。俺の応援の時、下手な音出したらただじゃ済ませねぇぞ」


「試合、出る気満々じゃん」


「当然だろ。一年からベンチ入りして初めてスタートラインに立てんだから」


 翔吏は眉間に皺を寄せて宣言する。

 あまりにも強気な言葉に、呆気にとられる。


「た、楽しみにしてるから!」


 感情的にそう叫ぶと、足早にその場を去った。


「何なのよ、あいつ…………」

 

 球児とひとくくりにしてみるのは良くない。やっぱり一人ひとり違うものだ。普通、あそこまで傲慢になれるものだろうか。


 だが、そんな態度に比例して彼の努力が空気から感じられた。

 真っ直ぐに上を目指す彼の姿に、どこか尊敬してしまっただけ悔しく感じる。


「このまま辞めたら、笑われるだけだわ」


 私は頬を叩いて気合を注入すると、足早に駅へと向かった。



***



「おかえり~今日遅かったね」

 帰宅すると、母が心配そうに言う。


「うん。ちょっと部活関係で」


 そう言うと、母は少し目を丸くして私を見る。


「何か良いことでもあった?」


「え?」素朴に振り返る。


「良い顔してるから」


「うそ」私は自身の頬に手を当てる。


「少し不安だったのよ。陽葵、最近ずっと疲れている感じだったから。でも、何かちょっと安心したわ」


 母は満足気にそう言うと、「今日のごはんは肉じゃがよ~」とキッチンへと向かった。

 私は荷物を置く為、自室へと上がった。


「良い顔、なのかな」


 室内の壁に掲示されている新聞を見る。そこには「紫野学園、惜しくも敗退!」との見出しと共に、紫野学園の選手が甲子園の土をシューズケースに入れる写真が掲載されている。もう穴が開くほど閲覧したものだ。


 二年前の中学二年生の夏、偶然テレビで見た甲子園に出場していた紫野学園高校を見たことで、紫野学園への進学および吹奏楽部への入部を決めた。

 私も紫野学園高校の一員として甲子園に立ち、熱い熱を放つ球児を応援したいと心から思ったのだ。


 ただでさえ私立の学校に、世間的にも厳しいと有名の吹奏楽部への入部に、身内にも心配をかけていた。


 それでも挑戦しようと思えるほどに、この写真の彼らから感銘を受けたんだ。


 やっとスタートラインに立てたところなのに、簡単に心が折れるなんて情けない。



 私は依都みたいに現実的でもなければ、翔吏のように強気なメンタルも所持していない。

 だが、夢に向かう根性だけは、人一倍持っている。


 試合はまだ始まったばかり。これからが本番なんだ。


「ごはん準備できたよ~」との声が届いたことで、「はい!」と威勢よく返事をした。



第一試合 部活動vs自分 完



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