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  • 執筆者の写真成瀬 紫苑

「コールドゲームは望まない」第三試合 現実vs夢

爽やかに夏を駆け抜ける青い物語。



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【第三試合 現実vs夢】


 高校野球の夏の地方大会は、開会式から連日行われる。

 平日はもちろん授業があるが、全国大会の予選であるだけ、野球部の人たちは公認欠席扱いになっていた。


 だが、当然だが吹奏楽部は対象外だ。

 その為、応援に参加できるのは、休日の被る四回戦からだった。


 私はまだ一度も球場に訪れたことがなかった。

 昨年は中学生だったこともあるが、初めて訪れる時は「紫野学園高校の生徒」として堂々と門をくぐりたい、と変な拘りを持っていたのだ。


 やっと条件が整ったにも関わらず、四回戦までじっとしていられるわけがない。

 考えたくもないが、一度も応援ができない、だなんて最悪の事態になる可能性もゼロではない。期待が強すぎて不安だったんだ。


「何かを得るには、何かを犠牲にしなければいけない」とは言うものだろう。

 テスト週間でほぼ復習しかしない授業と、夢にまで見た夏の舞台、どちらを取るかだなんて、考えるまでもないはずだ。


 というわけで私は今、予選の行われる球場まで来ていた。


「すご…………」

 私は茫然と周囲を見回す。


 目前には、学校にあるものより二倍ほど大きな体育館が備わっていた。木々で囲まれた通路奥には、のびのびとスポーツを行う為だけに整えられた競技場が確認できる。

 大型バスの停車する場所は、選手や応援の団体で溢れ、遊具の備わった公園では子どもが無邪気にはしゃいでいた。


 スポーツとは縁のない生活を送っていただけに、自身がこの地に立っていることに歯痒くなる。

 改めて隣に立つ「虹ノ宮総合運動公園」の看板を確認すると、帽子を深くかぶり直し、足を踏み出した。



 地元にある「虹ノ宮総合運動公園」は、球場を始め、バレーボールやバスケットボールの行われる体育館に、サッカーや陸上競技の行われる競技場も備わる、スポーツ全般の舞台に特化した場所だった。

 周囲は自然に囲まれ、敷地も広いことから、学生だけでなくプロまでもが利用することもあるほどだ。


 今日は九時から紫野学園高校の初試合だった為、学校に行く装いで球場に訪れていた。

 だがこの時期は、他の部活も大会が盛んなようで、平日であるにも関わらず人が多い。

 サボっていることがばれない為に私服に着替えているが、それでも知り合いに会う可能性が高く感じられ、無意識に顔が下に向く。

 全く堂々と門をくぐっていないが、それでも内心高ぶってはいた。

 

 チケット売り場で入場券を購入すると、そそくさと球場内へと入った。


 階段を上がると、眩しい日差しが視界を遮った。反射的に額に手をあてがう。


「うわっ、広い……!」


 真っ青な空が目に飛び込んだ。

 屋根のない球場に、周囲にも建物がないことから、空が普段以上に広く感じられる。遠くで飛んでいる飛行機が入道雲を突きっきり、大海をのびのびと泳いでいた。

 初めて見る球場からの空に、思わず息を呑む。


「あっ、紫野学園」


 どこからか届いた声に正気に戻る。

 三塁側に顔を向けると、ベンチから紫野学園の人たちが飛び出す様子が目に入った。それと同時に、ノック開始のアナウンスがされる。


「速水さん、キャッチャーなんだ……」


 グラウンド内で指示を出す速水さんは、皆とは違い、身体に防具をつけていた。離れたこの場からでもわかるほどに大きな体格だ。

 その顔は真剣だが、今から始まる夏がどこか楽しみといった笑顔が感じられる。


「かっこいいなぁ」無意識に呟いていた。

 

 強豪校の主将で捕手、さらに打順もクリンナップとまさに花形とも呼べるだろう。

 それをひけらかさない爽やかな性格に、陰で努力している彼の姿を毎朝確認していただけになおさら尊敬した。


 保護者応援の団体の後方座席に腰を下ろす。当然だが同世代の学生らしき人はあまり確認できないものの、注目されているだけにギャラリーは多く感じる。

 グラウンドの砂を蹴る音や水気の孕んだ青い香りまでもが、この場まで新鮮に届く。


 ひとつひとつに感激していた。

 想像以上に球場は広くて暑くて眩しくて、そして熱く感じるものだ。


 私は前方の応援団体に視線を向ける。

 スタンドに座る部員の数は、ざっと見ただけでも五十人以上は感じられ、皆、紫色のメガホンを所持していた。前にはバスドラムが設置され、部員の一人がスティックを携えている。

 スポーツ飲料を運ぶOBらしき男性たちや、タオルを首にかけて日焼け対策を行う主婦たちが目に入る。皆、どこか浮き立っていた。


 私たちが演奏に来る頃には、あの辺りにいるのだろうか。

 想像するだけでも奮い立ち、そして無意識に口角が上がった。


「あなたも紫野学園の応援に?」


 突如届いた声に顔を上げると、主婦のような人が私を見ていた。

 

「あぁ、えっと……そうです」

 まさか話しかけられるとは思わずに挙動不審になる。


「そうなのね。若いから生徒かと思ったけど、そんなわけないよね~」


「ははっ……」思わず目を逸らす。


「よかったらこれ。応援よろしくね」


 そう言って主婦さんは私にスポーツ飲料とうちわを差し出す。うちわには「紫野学園」と記載されていた。


「良いんですか?」


「いいのいいの。私たちも一緒に戦うんだから」


 そう言って主婦さんはウインクすると、ご機嫌に席へと戻っていった。

 私は唖然としたまま手元に目を落とす。


「本当に、紫野学園の応援に来ているんだ…………!」


 自然と笑顔になる。

 日の暑さで血流も活気盛んになり、気分も高まっていた。

 

 試合開始のサイレンが鳴り、掛け声と共に選手たちはグラウンドを駆けた。



***



 紫野学園の攻撃のたびに快音が響いた。

 テレビで聴くよりもクリアに九天に反響し、余韻を堪能する間もなく喚声が上がる。球の行方を追うことに必死で、全く目が離せない。


 速水さんの豪快なスイングが白球を叩き切る。勢いが落ちることなく一直線に飛び、大胆にバックスクリーンに衝突した。

 思わず手を握っていた。あの一打を放つのにどれだけバットを振って来たのか考えるだけ鳥肌が立った。


 スコアボードにどんどん数字が刻まれ、五回の時点で十点の大差がついていた。もはやここまできたらどれだけ点数を取るのか楽しみだ。


 だがその瞬間、試合終了のサイレンが鳴る。

 紫野学園の人たちは安堵した表情、相手高校は清々しく負けを認める顔で整列を始める。


 私は呆気にとられる。


「あれ、もう終わり?」


 まだ五回表が終わったばかりで、普通なら今から紫野学園の攻撃が始まるはずだ。

 だがスコアボードを確認すると、五回裏の場所には×印がついていた。


「やっぱりコールド狙いだったんだね」


 応援席から声が聞こえてハッとする。


「そうだ……コールドっていうのがあるんだ……」


 コールドゲームは、五回の時点で十点差、七回の時点で七点差以上がついていた場合、その回以降がノーゲームとなり、ゲームセットとなるルールだ。

 甲子園では、コールドゲームのルールが適用されていない為、すっかり頭から抜けていた。


 スタンドの部員の人たちは、納得気な笑顔で席を立つ。保護者の人たちも特に動じずに片づけを始めていた。 

 試合に勝ったことに安堵した表情だが、まるで元から想定していたかのような満足気な様子だ。


 勝ったことは嬉しいはずなのに、あまりにも早く試合が終了したことに寂しくなる。

 こんなに早くに終わってしまったのか。

 

「もう終わりかぁ……」


 私は大きく溜息を吐きながら、学校へと向かった。



***



「野球部の応援、行ってたでしょ」


 学校に着いて開口一番、依都は険しい顔で言った。

 あっさりバレたことに間抜けに口を開ける。


「…………何で、わかったの?」


「顔や腕は焼けているのに、シャツは汗ひとつかいていないから。私服で行って、ここ来る前に着替えたんでしょ」


 全く持ってその通りだ。


「依都って名探偵みたい」


「現状を分析すればすぐわかる」依都は呆れたように腕を組む。


 私は身を縮めて自身の席まで向かう。

 まだ前座席の翔吏は帰ってきていないようで空席だった。


「先生、何か言ってた?」


「別に。この時期は公欠で休んでいる人が多いから」


 それも狙っていた。

 大会が多い時期である為、今月から公欠で学校を休んでいる人がほぼ毎日いた。テストで授業も進まない為、先生も欠席があれど特に何も言わない。

 だからこそ少しくらい抜け出しても構わないだろうと考えていたのだ。


「でも、早かったね。第一試合って九時くらいからじゃないの?」


 依都は黒板付近にかけられている時計を見る。

 今は十時半。二時間目が終わり、ちょうど中間休み中だった。


「五回コールドだったから」


 どこかふてくされて言うと、依都は首を傾げてこちらを向く。


「勝ったんでしょ。何、その言い方」


「だって、すぐに終わっちゃったんだもん」


 私はむくっと頬をふくらませる。「どれだけ点取るのか楽しみにしていたのに、一時間くらいで終わっちゃったし、何か寂しいじゃん」


 そう言うと、依都は小さく息を吐く。


「そんな初戦から飛ばすわけにはいかないじゃん。一時間早く終わったら、その分、体力が温存できるでしょ」


 依都は冷静に分析する。私は冷ややかな目で彼女を見る。


「依都って現実的だよね」

 

「陽葵が夢想的なんだ」依都ははっきりと口にした。


 頭ではわかっているものの、寂しいと感じたのだから仕方ないだろう。

 だが、夏はさらに私に追い打ちをかける。



***



「雨?」


 次の日、朝のランニングで外に出ると大粒の雨が降っていた。

 いまだに梅雨明けが発表されていなかったとはいえ、ここまできつい雨は降っていなかったので完全に油断していた。

 こんな天候の中、野球の試合ができるわけがない。


 私は慌てて部屋に戻ると、手帳をめくる。

 今日一日雨で試合が順延されるとしたら、今日以降の日程が全て一日後倒しになるはずだ。

 日曜だった四回戦がなくなるとしたら、私たちが応援に参加できるのは――


「うそ…………準決勝まで行けないの……?」


 軽く眩暈がする。

 応援に参加するはずだった四回戦がずれ、次、休日と被るのはちょうど一週間先の準決勝だった。


「今回の死因は何?」


 昼休み、力なく突っ伏す私に、依都は淡々と尋ねる。


「………………今日の雨で、応援に参加できるのが準決勝まで伸びた……」


「まぁ、まだ梅雨明け発表されていなかったしね。仕方ない」


 依都は納得するように頷く。私は冷ややかな目で彼女を見る。


「依都ってさ、悲しいとか寂しいとか思ったことある?」


「まるで私がロボットみたいな言い方」


「素朴な疑問だよ。最近では?」


 そう尋ねると、依都は思案するように顎に手を当てる。


「夏といえば、やっぱり枝豆でしょ」


「普通、スイカとかそうめんとかだと思うけど」


「私は枝豆なの。で、枝豆を食べる時って、こうやってさやごと口元まで近づけるじゃん」


 そう言って依都は両手で枝豆を口元まで運ぶジェスチャーをする。

 何の話だ? と私は首を捻る。


「そして豆の入っている部分を押すでしょ。でもこの時、さやの中が空だったらさ、パスッて虚しくへっこむの。何か悲しくない?」


 依都は真顔で淡々と言う。私は眉間に皺を寄せる。


「ささやかな悲しみだね」


「私にとったら重大なことなんだよ」


 依都は私に「さやだけに」と言わせる間もなく、冷ややかに返答した。



***



 次の日の朝は、すがすがしく晴れていた。


 安堵しながらランニングしていると、高架下に久しぶりに速水さんの姿が目に入る。


 試合が始まってからは、いないことが多かったので、思わず笑顔になる。

 犬のように尻尾を振りながら下に降りると、速水さんが私に気付く。


「橘さん。おはよう」

 速水さんは爽やかな笑顔で挨拶する。


「おはようございます。邪魔してすみません。最近見かけなかったので、思わず……」

 咄嗟の行動に恥ずかしくなり、顔が俯く。


「ははっ、さすがに試合あると身体持たなくてさ。休息も野球のうちだしね」

 速水さんは照れ臭そうに頭を掻く。


 私はおずおず顔を上げる。


「そ、それでコールドを狙っていたんですが?」


「コールド?」速水さんはポカンと口を開ける。


「初めの試合、五回コールドでしたよね。あの時、保護者の方がコールドを狙っていたと言っていたので……」


 そう言うと、速水さんはふと顔を上げる。


「あれ、もしかして、試合見に来ていたの?」


「あっ!」私は慌てて口を手で覆う。


 保護者の方が、だなんて言葉、その場にいたものがいう言葉じゃないか。


 私の不器用な反応に速水さんは、わははっと豪快に笑う。


「まぁ何故かは聞かないとして、ぶっちゃけ言うと狙っていたね。まだまだ試合はあるからさ」


「でも、正直言うと…………もう少し見たかったなぁ、なんて思っていたりしました……」

 

 バレたならもはや隠すこともないだろう。

 私の言葉に、速水さんはまたもや目を丸くする。


「そんなこと言われたの初めてだ」


「そ、そうなんですか?」


「あんまり間延びするとだれちゃうしさ。だからむしろ大差つけて早く終わる方がみんな好きだったりするし、何より暑かっただろ」


「でも、熱中していたので暑さは気にならなかったです」


 本心だ。あの時、白球を追うことに必死で、日の暑さを気にする余裕すら感じていなかった。


「そこまで熱中してもらえるのは嬉しいな。ありがとうね」


 速水さんは眉を下げて少年のように笑った。

 純粋で眩しい笑顔に、胸がぎゅっと掴まれる。


「ま、俺もどっちかといえば、少しでも野球したいってのはあるけどな。どうせ早く終わっても、こうして触ってるんだし」


 そう言って速水さんはバットを手で弄ぶ。「でも大丈夫だよ。夏はまだまだ長いし、こんなところで終われるわけないからね」


 そこで私は、昨日の雨で順延したことを思い出す。


「そういえば昨日、雨だったので、吹奏楽部の応援が入れるのが準決勝になったんですよ」


「あ、そっか。順延で休日じゃなくなったんだった」


「準決勝まで絶対、勝ってくださいね……」

 私は念を込めて言う。


 速水さんは「甲子園連れて行くって言っちゃったし、負けられるわけないよな~」とやりずらそうに笑った。



***



 テスト週間に入っていることで、基本的に部活動は停止と言われている。

 だが、大会の重なるこの時期は、もはやそんな規則はあってないようなものだった。


 吹奏楽部も、コンクールまで一ヶ月切っていることから自主練は許可されており、普段通りに教室を利用することができる。

 私はコンクールには出ないものの、自宅では練習できないので応援曲の練習を行っていた。


「テスト、大丈夫なの?」


 音楽準備室で楽器の準備をしている私に、一ノ瀬先輩が問いかける。

 七月中旬であるものの、相変わらず艶のある黒髪が凛となびき、暑さを全く感じさせない佇まいだ。

 当然のように毎日来る私に疑問を抱くのは、自分でもわかる。

 

「あぁ、はい、いや、大丈夫ではないんですが、テストよりも練習を優先したいなと思いまして……」

 

「応援でそこまで熱心に練習するのも珍しいというか。それだけ応援したい人でもいるの?」

 

 唐突に問われて口籠る。

 一ノ瀬さんは冗談で口にしたようで、私の反応に軽く目を見開く。


「へぇ、そうなんだ」


「いっ、いや、別にそんなんじゃないですから」


 大袈裟に手を振って否定する。語尾が消えそうになった。

 一瞬のうちに顔面から汗が噴き出し、顔の筋肉も強張った。

 全く持って説得力の無い状態だろう。少しくらい感情を誤魔化すスキルをつけたいものだ。


 それに感情を隠そうとするあまり、砕けた反応になってしまったことにも内心焦っていた。

 

 だが、一ノ瀬さんは私を一瞥すると、目を細めて口角を上げた。


「ま、それならヘタな音出せないよね。適度にね」


 そう言うと、一ノ瀬さんは自分の楽器を手に取り、颯爽と音楽準備室を後にした。

 私はポカンと口を開けていた。


「げ、幻覚…………?」


 一ノ瀬さんは、パートリーダーだけでなく、吹奏楽部の副部長でもある。先輩の中でも特に落ち着いたクールな人だ。

 だが、そんな彼女が今、僅かだが笑ったように見えた。


 先輩の新たな一面が見られたことに歯痒くなる。

 唇をぎゅっと閉じても、なお溢れる笑みを顔を下げて隠した。



***



 すでにテストも終え、残すは夏休みを待つだけとなっていた。


 前座席に翔吏の姿がないことから、試合中なのだとわかる。

 あれから雨は降らず、今日の試合に勝つと、次は日曜日の準決勝だ。

 だが、勝ち進むにつれて相手もレベルが上がるものだ。もしかしたらコールドを考える余裕すらなくなっているかもしれない。

 それだけに私は胃が痛くなっていた。


「もう試合、終わってるんじゃないの?」

 昼休み、翔吏の席でお弁当をつつく依都は、時計を見ながら言う。


 今日の準々決勝の第一試合が紫野学園だった為、延長があっても結果は出ているはずだ。


「うん。でも、自分で調べるの恐いじゃん」


「調べてあげよっか?」


「嫌だ」


 私は全力で否定する。特に彼女は淡々としているだけ、心の準備をする間もなく結果を言いそうに感じられたからだ。


 昼休みが終了し、野球部員たちが教室内に戻ってくる。

 思わず翔吏に視線を向ける。彼は眉間に皺を寄せて首を傾げる。


「し、試合どうだった…………?」


 恐る恐る尋ねると、翔吏は数秒静止し、そして親指を立てた。


「やった~!」 

 思わず大声でガッツポーズをする。


「馬鹿はよく吠える」


 翔吏は首を捻りながら、前座席に鞄を置く。

 依都も「本当、元気」と言いながら、席を立った。


「だって、これで応援にいけるんだから」


「汚い音だけは出さないでくれよ」


「出さないわよ。これでも毎日練習しているんだから」


 翔吏の軽口も、浮かれている今は適当に流していた。

 やっと、応援に行くことができるんだから。


「連絡がありましたが、無事野球部が勝ち進んだようなので、次の日曜日に私たちも応援に向かいます。楽曲は以前配布した通りに練習するように」


 テストを終えた今、部活動も再開されていた。

 部長が意気揚々と言うと、「ハイッ」と威勢のいい返答が上がる。 


「空回りして下手な音は出さないでよ」

 一ノ瀬さんが揶揄う。


「し、しませんから。毎日練習していたので」

 その分、テストの結果がどうだったかは言うまい。


 一ノ瀬さんは、感情の隠しきれていない私を一瞥すると「知ってる」と目を細めて笑った。



***



 再び虹ノ宮総合運動公園に来ていた。

 だが、以前とは違い、紫野学園の制服を着用し、部員と同じキャップも被っている。今回こそ堂々と胸を張って門をくぐっていた。

 とはいうものの、先輩の前だけ気を抜くことはできない。


「一年生、早く運んで」


 初めて訪れる場に茫然とする一年生を先輩は叱咤する。

 私たちは背筋を伸ばして「はい!」と足早に行動した。


「関係者はこちらから」


 球場内警備員の人たちが案内する。

 前回来た時とは違う入口から入ることに特別感を感じ、さらに気が引き締まった。


 球場内の階段を上がると、以前来た時とは変わらない青空が目に飛び込んだ。

 休日かつ準決勝であるだけ、観客もほぼ満席に近いほど詰まっている。


「すごい……何か、緊張してきた……」同期の子が呟く。


「でも、楽しみだよね」私は何度も頷き同意した。

 

 勢いがあったのか、同期の子は「テンション上がりすぎ」と軽く笑う。